私が福島県飯舘村を訪ねた9月7~9日ごろ、標高500メートルの村はもう秋が始まっていた。濃青の空の下、コスモスやハスの花が咲き乱れ、山村の沿道を淡い桃色で飾っている。

池のハスに花が咲いていた(筆者撮影、以下すべて)

 放射能災害の取材に来たはずなのに、つい車を止め、写真撮影に熱中してしまう。絵に描いたような美しい田園風景に、前の日に、線量計が毎時350マイクロSv(シーベルト)という想像を絶する数値を出したことなど、忘れてしまう。

 道端で、でかいカメラを持ってうろうろしているよそ者の男は、見るからに怪しい。村民全員が避難したあとなので、空き巣の警戒のためにボランティアの村人が車で見回りをしている。車が止まり、呼び止められる。

 とはいえ、とげとげしさはない。取材で東京から来たフリーの記者で烏賀陽といいます、と名刺を渡すと、みんな笑顔になる。「おつかれさまです」とまで言ってくれる。大変な災難の最中なのに、闖入者の私を労ってくれる。とても申し訳ない気持ちになる。

見た目は何も変わらない、だからこそつらい

 その時も、道ばたのムクゲの花を撮影していた。ピンク、赤、白と色とりどりの大きな茂みだ。人気が絶えて、自然のままに咲き乱れていた。

 ビニールハウスは骨組みだけになり、セイタカアワダチソウの草原に埋もれている。田んぼも雑草の草原だ。かき分けて進むと、足元からバッタがぴょんぴょんと飛び立つ。車が少ないせいか、虫の音のリリリという声が、オーケストラのようにやかましく聞こえる。

 エンジン音がして顔を上げると、白い軽トラックが止まって、おじいさんがじっとこちらを見ていた。赤銅色に日焼けた顔で、農家の人だと分かった。

 「どっから来なすった」

 東京から来ましたフリーの記者で、と怪しまれた時の説明を慌てて返しているうちに、ふと気づいた。見回りは必ずペアで動く。このおじいさんは1人だ。見回りではない。

 「いや、違う」

 私が渡した名刺を見ながら、おじいさんは小さな声でつぶやいた。

 「はい?」

 「それ」

 節くれ立った指の指す先をたどると、私が首から下げたデジタル一眼カメラだった。