福島県飯舘村は、福島第一原子力発電所から北西に40~50キロほどのところにある。阿武隈山地に抱かれた、標高500メートルほどの風光明媚な山村だ。今回はこの飯舘村の被曝の悲劇について書く。
前回、前々回と書いた福島第一原発から半径20キロの立ち入り禁止区域の記事と対比して読んでほしい。官僚が地図の上に線を引いただけの20(あるいは30)キロの規制ラインと、現実の放射性降下物の飛散がいかにまったく無関係だったか、そして住民を被曝から防ぐ意味でいかに無意味だったか、如実に示しているからだ。
原発20キロ圏内の陸地は、半円を塗りつぶしたように人が入れなくなった。家に帰れなくなった。会社や職場に行けず、失業状態になった。なのに、円形の立入禁止区域内には線量が外部とほとんど同じくらいの低さでしかない場所がけっこうある(20~30キロラインの中間地帯も物資輸送が止まり生活が破壊されたが、今回は話を分かりやすくするために深入りしない)。
ところが、政府が当初「安全圏」(30キロラインの外側)として「避難の必要がない」とさえ言った飯舘村は、高濃度の放射能雲が飛来し、高い線量に空気や農地、山林、上水道が汚染された。
なぜこんなちぐはぐなことになったのか。データベースを見てみると、4月中旬の段階で政府はこう言っている。
「事故の直後、放射性物質の分布を予想するのに必要な情報が限られている中、しかも迅速に判断をする必要がある状況で、緊急的に同心円として対策区域が定められた」
「地面の放射性物質の量や、放射線の強さの分布に関する情報が得られた段階では、同心円にこだわらず、適切な対応が取られることになります」(首相官邸災害対策ページ、4月13日)
善意に解釈してあげよう。「放射性物質が北に飛ぶのか南に飛ぶのか分からない初期段階では、全方位=円内全部警戒しましょう」
それは間違っていない。だが、この論法は二重三重に間違っている。
(1)まず「20キロ」という半径は小さすぎて間違っている。
(2)危険は「原発からの距離」ではなく「風向き」で警告されるべきであることはチェルノブイリ事故そのほか放射線防災の常識である。
(3)危険を警告し、住民の被爆から救うためには「地面の放射性物質の量が分かった後」では手遅れだ。
(4)そうした風向きや天気などをを総合して放射能被爆から住民を救うために、政府には「SPEEDI」というシステムがあった。
(5)汚染区域は風に乗ってランダムに広がるのはあらかじめ分かっている。
だから、日々、危険区域の予測をアップデートし続けなければならなかったのだ。なのに、4月から基本はそのままである。「国民の生命、財産、健康を守る」という視点からすると、あまりにお粗末なのだ。
自分たちの住まいに放射性物質が到来していることを知らされなかった6000人の村民と、海岸部から飯舘村に避難していた1300人が被曝してしまった。いま村からはチェルノブイリ周辺に匹敵する土壌汚染や、プルトニウムすら見つかっている。結局、全村民は避難。村は「無人」になってしまった。それでも「立入禁止」ではない。
今さら新天地に行こうとは思わない
このちぐはぐな放射能災害対策を村民たちはどのように受け止めているのか。
とはいえ、飯舘村には知り合いが誰もいない。取材の窓口になってもらったのは、村の実情を知らせるためにネットを駆使して活動する若手グループの「負げねど飯舘!!」だ。彼らが東京に来て記者会見をした時、主要メンバー3人と知り合いになった。村の窮状をずっと取材し続けている、芸人のおしどりマコさんに紹介してもらった。