宮城県の松島湾と石巻湾を隔てる半島のように突き出ている奥松島。東側は穏やかな松島湾の島々を望み、西側は雄大な石巻湾の海原を見渡せる風景が、人気を集める観光地になっていた。

 しかし、東日本大震災で半島の付け根に当たる東松島市の野蒜地区は、石巻湾側から押し寄せた大津波によって、堤防が破壊され、地域のすべてが津波に飲み込まれた。さらに、半島の先端にあたるのが宮戸島で、ここも多くの民家が津波に襲われた。

野蒜

 震災から7カ月過ぎた10月12日、この宮戸島にある民宿「桜荘」を訪ねた。ここを営む桜井幸作さん(60)は、小型の定置網やカキの養殖を手がける一方、妻の賀代子さんとともに、「漁師民宿」の切り盛りをしていた。

 最初に、ここに入ったのは2008年末に東松島市を担当する記者が集まった忘年会で、桜井さんが朝に獲ってきた新鮮な魚料理のおいしさに感動した。その後、このあたりの漁業の話を取材する時はいつも、桜荘を訪ねることにした。

 お客の中に、いつも豪州や台湾など海外からの観光客がいるのに驚いた。それもリピーターが多いというので、外国人にも「漁師民宿」の楽しさが分かるのだなと思った。今年2月、私たち夫婦が石巻を去るときの送別会にも、桜井夫妻に来ていただいた。

 震災後は、桜荘への電話はつながらず、なかなか回復しなかった。宮戸島と野蒜とを結ぶ唯一の橋が落ち、電話などのケーブルも切れてしまったためだ。当初は、消息がつかめないので心配したが、人づてに夫妻は宮戸小学校に避難していると聞き、ほっとした。その後、電話がつながるようになり、民宿の再開に向けて頑張っていることを聞いていた。

約30軒の民宿のうち、被災せずに残ったのは4軒

 8カ月ぶりに会った桜井さんに、「よくぞご無事で」と言ったら、当初は孤島になってしまい連絡がまったくできなかったので、3人の息子たちも「宮戸は全滅」だと思ったほどだったと答えた。