1986年春、私が大学を卒業して新聞記者になりたての頃、赴任先の三重県津市での話だ。夜「知的障がい者」の合唱コンサートがあるというので、カメラを片手に県のホールに出かけた。

 当時の私の担当は警察署で、交通事故や火事で人が死んだ、重体だ、とそんな取材ばかりしていた。こういう「福祉もの」ほか「街ダネ」は、私のような一番下っぱ、取材技術の未熟な新人記者の仕事になっていた。

 支局の事務所に「行事のお知らせ」とかいうファクスが来る。デスクが「烏賀陽君、これ見に行っておいて」と私に「振る」のだ。

 会場のホールに入る。受付で名刺を出して来意を告げると、中から初老のやせた男性が出てきた。きっちりした背広を着ている。その福祉施設の理事長、と名刺に書いてあった。

 「あんたが朝日サンかいな」

 孫のような23歳の私を見た理事長は、ニコニコしながら言い放った。

 「あんたら、コロシやタタキやいうて殺伐とした記事ばかり書いているから、わしらみたいな『えくぼ記事』が必要なんやろ?」

 この一言は25年経ってもいまだに忘れられない。出合い頭に一発食らったようなものだった。(サツネタとちがって)「いい話、ほめる話だから取材に行けばきっと喜んでもらえるだろう」「読者も喜ぶだろう」と考えていた若いぼくの偽善を、この理事長は(半分冗談かもしれないが)見抜いていたのだ。

えくぼ記事に見られる4つのパターン

 25年も前の些細な逸話を持ちだしたのは他でもない。3.11報道を見ていると私がかつて新人の頃に書いていた「えくぼ記事」そっくりの記事が連日紙面を埋めているからだ。

 4月1日の本欄で、3.11報道の「美談記事」はほぼすべての発想が定形化されていることを書いた。またその「物語」のパターンも列挙しておいた。「えくぼ記事」はこうした美談記事のサブジャンルと言ってもかまわない。

 例えば、以下は、今日この原稿を書いている8月24日の朝日、読売、毎日の朝刊紙面である。見事にえくぼ記事が並んでいる。

左から朝日、読売、毎日の紙面。いずれも8月24日朝刊。