3月31日午前3時17分、この原稿を書いている。東日本大震災の発生以来、朝日、読売、毎日新聞を朝・夕と読み、インターネットで日本語と英語のサイト(報道機関だけでなく政府、NPOサイトも)を回り、テレビをつけてニュースを見る、という生活を送ってきた。

 前回、「国難級のクライシスが3つ束になって襲いかかってきた、戦争と同等のこの非常事態に、日本の新聞・テレビなど既存報道は機能していないのも同然、それどころか有害にすらなりつつある」という話を書いた。それから2週間、私のその印象は日を追って強まり、確信に近づいている。

 その問題点は、これから順を追って一つひとつ検証していこうと思う。今の時点で私が言えるのはこういうことだ。今、日本の既存型報道が見せている病弊の数々は、「生活習慣病」のように長期的なものだ。「3.11クライシス」のショックで急に「発作」に見舞われたわけではない。以前からずっと続いてきた構造的弱点が、そのままシビアな条件下で露呈しただけのことだ。

 それは私が25年前に新聞社に入って記者になった当時からずっと指摘されていた問題であり、それがほとんど改善されないまま最悪のクライシスを迎えてしまった。それが私には分かる。

 今日、指摘しておくのは、新聞・テレビ・通信社(あるいはそれがニュースを配信するネット報道も含める)が「多様性」を欠いていることだ。

 これは別に難しい話ではない。日経新聞を除く全国紙4紙と共同通信(地方紙に代わって全国ニュース記事を取材し配信する)。NHKと民放キー局5つの合計6局。その報道のパターンはほぼ同じだ。すなわち多様性がない。

 簡単な言葉で言うと「どの新聞を見ても同じような記事」「どの局も似たような番組」なのだ。

 実際に、新聞の題字やチャンネルを隠してしまうと「これは朝日なのか、読売なのか」「これはフジなのか、日本テレビなのか」見分けがつかない(NHKと民放はかろうじて見分けがつくが、実際は装丁の違いにすぎない)。

どんな記事も基本は「本記」「解説」「雑感」

 私のような記事を作る側の「インサイダー」だった人間には、そのパターンがだいたい分かる。

 まず、大きな分類項目を挙げる。

(A) 本記(=テレビではアナウンサー、キャスターによる原稿の読み上げ)

(B) 現場

(C) 解説(=専門家の話 。「教授」「学者」「研究者」「シンクタンク」「アナリスト」など「専門家」の肩書きを持つ人々。社内の編集/解説/論説委員を含む)

(D) 記者会見

(E) データ情報(今回の震災では被災者氏名、亡くなった人の氏名、避難所、医療機関など)

(F) その他