前回、イタリアの中世都市、フィレンツェは海に面していなかったため、港湾都市であるピサを欲しくてたまらなかったという話をしました。「言うことを聞かない敵」であるピサを攻略する方法について続けます。

 私がマキァヴェッリを好きな理由の1つは、目的を達成するために、ありとあらゆる可能性を検討することです。

 そんな前書きを置く理由は、ピサのような国をわが物とするためにマキァヴェッリが提案していることの一部が、現代人には受け入れがたいだろうと思われるからです。マキァヴェッリがよいと考えている順に並べます。

 征服した国々で、それ以前に民衆が自分たちで法律を定め、自由な暮らしになじんできた場合、こういう国の維持には3通りの方法がある。

(1)その都市を滅ぼすこと。

(2)君主が移り住むこと。

(3)以前と同様の法律の元で暮らすことを認め、献納を求め、友好的な寡頭制の政権を作ること。

(「君主論」池田廉訳、マキァヴェッリ全集、筑摩書房)

 都市を滅ぼしてしまえば反抗する者はいなくなりますから、征服後に反乱が起きる危険はありません。「これだからマキァヴェッリは・・・」という方は、1453年にどんな事件があったかを思い出して下さい。この年、コンスタンティノープルが陥落し、東ローマ帝国が滅びました。

 コンスタンティノープルを落としたオスマントルコのメフメット(マホメット)2世は、首都を速やかに同地に移転。以後、コンスタンティノープルは、イスタンブールとして知られるようになります。

 都市を滅ぼした上に移り住んだのは、キリスト教が1000年以上根を張っていた地域だからで、もちろんキリスト教徒も多いわけです。ヨーロッパ世界はチャンスがあれば十字軍を編成する時代ですから、イスラム教の君主としては自ら征服地に乗り込んで睨みを利かせ、どんなささいな反抗の芽も逃さないようにする必要がありました。