これに対し、米国の政党色の強い官僚システムを理解できるテレビドラマが「The West Wing(邦題:ザ・ホワイトハウス)」である。ここに登場する米国官僚の政治性の強さは、「官僚たちの夏」の主人公・風越信吾とは大違いだ。
また、ホワイトハウスのスタッフの仕事が、今の日本の官僚とそっくりだと驚かされる。わが国では政治家スタッフの役割の相当部分を、コストが安くて優秀な官僚が担うよう、社会的システムとして求められている。
職を奪われる高級官僚、コメンテーターに「転職」?
足元の現実で起こりそうなことは、中途半端な形で日本の高級官僚が職を追われる事態だ。元々、永田町の政治家には政策立案の実務知識など求められておらず、現在の高級官僚並みの実務能力を持った人材はシンクタンクや大学などにもほとんど存在しない。
しかし残念ながら、国民の多くは政府の非効率性の責任を高級官僚に押し付けようとしている。本来は政治家と、いわゆるノンキャリアの役人を大勢抱えるシステムに問題があるはずなのだが。

恐らくこれから、大した政策立案能力も無い人々によって高級官僚が一旦は職を奪われる。そうやって政府と民間を行き来する「回転ドア」が無理矢理つくられるなら、霞が関を追われた官僚はどこに滞留するのか。次の政権で政策スタッフ復帰を目指す、あるいは中立的政策分析者として生きていくには、どうしたらよいのだろうか。
いわゆるエコノミスト、ジャーナリストという名のコメンテーターに、かなりの人材が滞留するのではないかと筆者は予想する。テレビ・新聞を見ている限り、この分野における本来の評論家の衰退は著しい。専門性の低い人が相当偏った視点から、「視聴者・読者の目線」という美名の下で無責任にコメントするケースが増えている。
中立的な視点で冷静に分析する役割を求められているはずの、今のマスコミの編集委員、解説委員クラスではその任に堪えない。最近の社説の凋落ぶりには目を覆うばかり。基礎知識と分析力の欠如を感じざるを得ない。
もっとも、再就職のために目立つことしか考えないから、敢えて極論だけを述べているのか。既に分析報道を止め、政治的に対立する者が両側に分かれて議論を繰り返す番組も少なくない。
こうした状況の下、リーマン・ショック以降の経済情勢分析では、官庁・日銀出身のエコノミストなどが目立ち始めている。さすがに彼らは政策立案の最前線に居ただけあり、しかも実務に素人の政治家を説得してきた実績があるから、理路整然としたコメントは分かり易い。
このポジションから既存の力の無い者が追い出され、「回転ドア」組の滞留場所となっていく可能性が高いように思う。もし能力不足の既存マスコミがその場所を守ろうとすれば、それは中立的な分析者としてではなく、政治的な発言を声高に叫ぶタレントと大差ないものとなるだろう。
FRBが米国の政治的中立シンクタンク、日本では・・・

もう1つ指摘しておきたいのは、米国では中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)がシンクタンク的な役割を果たしている事実である。議長はじめFRB高官の講演や議会証言には、金融政策の枠を越え、社会保障や教育、エネルギー政策に関するものなども散見される。
日銀の役割が限定されている我が国から見ると、違和感を覚えるようなテーマ、つまり行政の制度的な領域にまで踏み込んでFRB関係者は公式にコメントしているのだ。
実際、FRBは各種の問題に関する博士クラスの専門家を豊富に抱えている。ワシントンではシンクタンクの政党色があまりに強く、見解のブレが大きいため、政治的中立性の高いシンクタンクとしてFRBが活用されているのだろう。
米国でさえ中立的な政策分析集団を置いている事実は、今後の我が国の官僚・政策スタッフ制度を考えていく上で、留意すべきポイントになるはずだ。