2009年8月30日の総選挙で民主党が圧勝し、政権交代が間近に迫った。政策の立案・運営面では、政治的中立の官僚を政府が「お抱え」で活用してきた国の「形」が、多少なりとも変わりそうだ。「官僚制度の打破」「天下りの禁止」といったお題目の下、政策立案の現場に政治家や政治色の強いスタッフが順次投入されていくのは間違いない。

 まず、これまでの日本の高級官僚制度を大まかに整理してみたい。政策立案・運営能力のある優秀な人材を国民が税金で雇い、安定的に活用しようとするものである。批判を浴びているが、天下りとは人材が固定化して政策が硬直化する事態を回避し、且つ官僚の引退後の生活を保障することで、骨身を惜しまず不偏的に国家戦略に尽くすことを求めたシステムと言える。

シンクタンクが林立するワシントン(中野哲也撮影)

 これとは対照的に、米国では政権交代の度に政策の中枢に位置する政治任用の高級官僚(ポリティカルアポインティー)がガラリと入れ替わる。その受け皿となるのが、シンクタンクや議員スタッフである。

 ワシントンには幾つかの有力シンクタンクが存在するが、その全てが民主党系か共和党系に色分けされている。政権を追い出された側は、こうしたシンクタンクで働いて捲土重来を期す。

 場合によっては、コンサルティング会社などに転職して高給を得る。日本のようにそれが悪だとは誰も言わない。国家の政策立案を担うような人材が安く手に入るとは、誰も思っていないのだ。

 政権交代の引き継ぎにかかる手続きや、民主・共和両党で同じような能力の人材を双方共に確保する費用などを考えると、制度維持にかかる社会的コストは日本よりも米国の方が高いと思われる。日本の高級官僚制度は、国全体のコストを考えると相対的に安く済むシステムであろう。

「官僚たちの夏」VS「ザ・ホワイトハウス」

 日本でも政権交代が頻繁に起こる事態に向けて、色々な挑戦が行われてきた。副大臣や政務官という政治家スタッフが霞が関に投入され、自民党や連合が主宰する政治色の強いシンクタンクもできた。政策担当秘書を資格化し、公給制も導入されている。

 しかし何れも、目論見通りの成果は上げていない。今回の選挙で議論されたマニフェスト(政権公約)を見ても、政党が抱えるシンクタンクの政策立案能力が既存の高級官僚に遠く及ばないことが分かる。

 政策担当秘書は米議会のような自らチームを抱える権限や財源を与えられず、目の前の「ドブ板選挙」に追われている。官僚に代わって、政策実現のための根回しや国会での想定問答作成などを十分行っているようにも見えない。

 こうした新制度がうまく機能しない理由の1つは、逆説的になるが、政権交代が頻繁に起こらなかったためかもしれない。しかし筆者はそれよりも、日本国民がこうした社会的コストの高い制度ではなく、本音では効率的な官僚制度を望んでいるからだと考えている。

 この時代に「官僚たちの夏」(原作・城山三郎、新潮文庫)という、無垢な高級官僚が社会を牽引していく姿を美化したドラマが、民放のゴールデンタイムで放映されている。国民皆で古き良き「管理社会」を懐かしんでいるようでもある。