現在、モンゴル国ウランバートルにあるモンゴル・日本人材開発センターでは、日本から派遣されたボランティア有志による「がんばれ日本!草原の国モンゴルからの応援メッセージ」展が開かれている。

日本に住むモンゴル人は約5000人

大震災からまもなく2か月、がれきが残る被災地の様子

いまだ瓦礫が広がる陸前高田市の被災地〔AFPBB News

 ただ、単なる応援のメッセージだけを展示したものではなく、震災後の実情を紹介したものであるためか、6月6日から11日までの予定だったが延長が決まったという。日本語とモンゴル語で編まれたこの企画、好評のようである。

 モンゴルとの国交が結ばれて39年目、1991年の民主化以降、年々両国の関係は深まり、最初は夏のチャーター便で飛ぶか、中国かロシアを経由しないといけなかった国だったが週3便、ウランバートルと東京の間で定期便が運行されるまでになった。

 現在、日本に住むモンゴル国のモンゴル人の数約5000人、3月11日の大震災は、日本に住む多くの人々同様、モンゴル人にとっても大きな衝撃であった。

 以下は、東京にて大地震に遭遇し、それに対応した多くのモンゴル人たちの活動を見た筆者の記録である。

 震災から10日間ほどで筆者のフェイスブックに登録された人々は100人以上も増えた。ほとんどがモンゴルやロシアの関係の人々で、情報を求め、さらに必要とされる情報を場合によっては加工し(翻訳し)つつ流し合った結果つながった人々である。

フェイスブックやツイッターが広げた在日モンゴル人の輪

 こうしてできた「仲間」は、今もそのまま維持されている。相撲界やそれまで付き合いのあった多くの留学生だけでなく、様々な分野でモンゴル人が活躍するのを知ることもできた。

 震災直後、太平洋に面する地域に住むモンゴル人はもちろん、日本全土に住むモンゴル人の安否確認が飛び交い、筆者の元にもメールやメッセージがモンゴルから何通も届いた。在日本モンゴル大使館の対応は早く、震災2日目には安否確認用のサイトが立ち上がっていた。

 大使館の職員やモンゴル人留学生会のメンバーは、震災後3~4日は寝ずに連絡や手配を行ったようだ。疲労困憊したコメントがフェイスブック上で見えた

 3月14~15日ごろから続々と帰国できる人は帰国した。その際、震災地域からの帰国に関しては無料との通知がなされた。ただ、成田空港はモンゴルへ帰国しようとする人々で長蛇の列ができ、その日のうちに帰国できない人も多く出たようである。