今年の春から山口県下の公立小中学校では、吉田松陰を教材にして教育を行うことが推奨されている。
旗振り役は県の教育委員会である。背景には、かつての安倍政権下で改正された教育基本法の「愛国心条項」がある。このことは3月31日付の朝日新聞でも取り上げられ、私の周囲でもちょっとした議論になった。
「愛国心条項」には、教育の目標として、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」と謳われている。折しも今年は松陰没後150年のメモリアルイヤーである。松陰が選ばれるのも不思議ではない。
吉田松陰は、長州藩(今の山口県)出身の思想家で、萩の松下村塾にて伊藤博文や高杉晋作といった明治維新の立役者を育てた人物である。全国的に教育の神様のように崇められている。
ただ、尊皇攘夷を説いたために戦前の修身教育で利用された経緯があること、また、たった1人の人物だけに絞っている点に批判が集まった。さらに、山口県が安倍晋三元首相のお膝元である点も、引っかかる。
駅伝チームの名前は「長州ファイブ」
それにしても、松陰に限らず、地方に住む若い人たちの郷土の偉人に対する尊敬の念や関心には驚かされる。山口の人は皆、郷土の偉人に誇りを持っている。こちらに住むようになって、大人だけでなく子どもも含めてそうであることを知った。
以前、私が勤務する徳山高専の寮生たちが駅伝大会に出るということでチームを結成し、その監督を頼まれたことがある。彼らの考えたチーム名は「長州ファイブ」だった。幕末に長州藩から内密にイギリスに派遣された5人の志士たちの異名であった。
彼らはまだ若いのだが、郷土の偉人に誇りを感じているようだ。メンバーの1人が「大事な時は偉人にあやかる」と言っていた。私は、これぞ郷土を愛する心ではないかと思った。
日頃、私は都会の人間ぶっていたが、この時は、少し恥ずかしくなった。好きな郷土の偉人を尋ねられて1人も出てこないより、「吉田松陰です」と言える方がよっぽどいい。田舎の人は都会の人たちに対して、とかく卑下しがちだが、このような誇りを持てるのは素晴らしいことだ。山口の子どもたちを見ていると、そう感じざるを得ない。
大切なのは批判精神
だから吉田松陰を題材に教育を行うこと自体には、何の問題も感じない。
ただし、具体的に何をやるのかが問題だろう。教育委員会によると、弁論大会や史跡訪問、朝礼での講和などだという。具体的に何をやるかは学校ごとに任されている。
松下村塾があった萩の明倫小学校では、以前から松陰の言葉を毎朝朗唱させているという。何も考えずにこんなことをやらされていては、偶像化、神格化が生じるのではないかという批判の声がある。
では、どうすればいいのか。私の意見を言わせてもらうと、松陰の偉大さを教えるのと併せ、同時に批判的精神を学ぶことが必要なのだと思う。