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 起業家(アントレプレナー)とは、特別な才能を持つごく一部の人だけを指すのか。それとも、誰もがなり得る存在なのか――。本稿では『アントレプレナーズ』(澤田貴之著/創成社)から内容の一部を抜粋・再編集。さまざまなケースを通じ、時代を超えて必要とされるリーダーたちの姿に迫る。

 米国で20億ドル超を売り上げるロングセラー「バービー人形」。その成功を支えたのは、早くから日本の中小企業と協力し、効率的な生産体制を築き上げたマテル独自のビジネスモデルだった。

バービー人形はなぜインドで売れなかったのか?

アントレプレナーズ』(創成社)

 1945年にエリオット・ハンドラーとハロルド・マトソンらによって設立されたのがマテル(創業者2人の名前を組み合わせたのが社名の由来)である。額縁製造からはじめ、50年代に入ると玩具製造にシフトし、バービーを発表する前は、びっくり箱やオーソドックスな玩具を製造するメーカーだった。

 1959年にエリオットの妻で後に社長に就任したルース・ハンドラー(1916-2002)が考案したバービー人形を発表すると、世界中で大きな反響を呼ぶこととなった。マテルは、バービーのヒットによって一躍、世界的な企業としてその名を轟かせることになった。現在では世界で最も名前の知れた玩具メーカーの1つとして、同じ米国のハズブロと並んでいる。

 米国発のバービー人形が世界でヒット商品となり、日本に上陸した時には「着せ替え人形」と呼ばれる玩具は日本に存在しなかった。これは日本市場に限ったことだけでなく、欧州や他の国において着せ替え人形の原型となるものはドイツにあり、またそうした存在がバービー開発のヒントにもなったが、市場で十分に普及していた代物ではなかった。

 1950年代末の初期バービー人形は、ブロンドで過剰なまでに理想的なプロポーションが誇張された8等身の白人女性だった。現在のバービー人形はダイバーシティを反映して、人種だけでなく、車いすやダウン症のバービーまで製品ラインナップは広くなっており、現在の「アメリカ社会」をより反映したものとなっている。

 いわばバービーは「アメリカ」を象徴するアイコンであるとともに、その社会・文化を鮮明に写したものでもあった(McDonough(ed)[1999]邦訳版[2000])。