写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ

 起業家(アントレプレナー)とは、特別な才能を持つごく一部の人だけを指すのか。それとも、誰もがなり得る存在なのか――。本稿では『アントレプレナーズ』(澤田貴之著/創成社)から内容の一部を抜粋・再編集。さまざまなケースを通じ、時代を超えて必要とされるリーダーたちの姿に迫る。

 デジタルシフトの嵐の中、多角化と技術革新を重ねながら光学技術メーカーとしての強みを最大限に発揮し続けたキヤノン。その力の源泉はいったい何だったのか。1960年代から現在に至る業界の栄枯盛衰を踏まえ、同社の戦略を解き明かす。

カメラメーカーの栄光と挫折 キヤノンの多角化戦略

アントレプレナーズ』(創成社)

 伝統的な産品などを除けば、企業は常にその内部において開発と技術革新を重ねて存続してきたが、製品そのものや業界全体が衰退してしまう場合、その苛烈な嵐に抗い存続できる企業が一握りなのも事実である。

 メーカーにとっての主力製品が市場における需要の限界に直面した時に、企業はどのような対応をすればよいのだろうか。デジタルシフトの中でフィルムメーカー~(本書内では)富士フィルムの多角化にはすでに言及したが~、肝心のカメラメーカーの場合はどうであったろうか。

 デジタルシフトに対応して、キヤノンやニコンなどの日本の主力メーカーは、一斉にフィルムカメラからデジタルカメラの製造販売にシフトした。しかし、事はこれで終わらなかった。高性能なカメラを搭載したスマホの登場は、日常的な撮影においてはスマホに席を譲らざるを得ない状況にカメラメーカーを追い込んでいったのである。その結果は、カメラメーカーの間で多角化戦略の違いによって明暗を分けることとなった。

 戦後、日本はカメラ王国の名に値するほど世界で知られるようになった。現在でもプロ・セミプロの使用する日本製カメラへの世界の信頼は厚いものとなっている。戦後日本のカメラメーカーはドイツのライカをコピーするところからスタートし、1960年代までには一眼レフカメラにおいて、米国市場で海外メーカーに対して圧倒的に優位な地位を築いていた。

 ただし、日本国内では、それまでにカメラメーカーの過当競争が進行し、多くの中小カメラメーカーが破綻し消えていった。