ジャガー TYPE 00
完全EV化を予定しているジャガーは2024年末、電動化時代の新生ジャガーを印象付けるまったく新しいコンセプトモデルをお披露目した。そのジャガーは資本的には2008年からインドのタタ・モーターズがオーナー(出所:ジャガー)

「100年に一度の変革期」にあるとされ、業界再編に沸く自動車業界。一方、今日までの約100年間、かつての競争力を失い続け、現在は自国資本のメーカーはないと言っていい状況にあるのがイギリス自動車産業。しかし、イギリスを拠点とする自動車ブランドの重要性は陰るどころか、むしろ電動化・デジタル化が進む現在、さらに増しているとすら言えると自動車ライター・大谷達也氏は指摘する。

100年前イギリスには183もの自動車ブランドがあった

「私はローバーが憎い。なぜならオースティン、モーリス、ウーズレイといったイギリスの自動車ブランドを全て殺したのはローバーだからね」

 およそ30年前、イギリスを代表する自動車ジャーナリストだったロナルド・“ステディ”・バーカーさんは私にそう語った。

 ローバーはイギリスに存在した自動車ブランドの一つ。イギリスはかつて自動車ブランドの宝庫で、1922年には183ものブランドが操業していたと伝えられる。前述したオースティン、モーリス、ウーズレイの3ブランドはいずれもその当時から存在していた老舗だが、彼らはイギリス自動車産業界の国際的な競争力低下に伴って合従連衡の波にのみ込まれ、1952年に設立されたブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)に統合。しかし、ここで誕生した「イギリス自動車メーカー連合」は、さらにブリティッシュ・モーター・ホールディング(BMH)、ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)などと名前を変えながら、1986年にはローバー・グループとして再編成されるが、ここまでの過程でほぼ全てのブランドは消滅し、イギリスの華やかな自動車文化も衰退の一途をたどっていったのである。

 バーカーさんは、そうした悲しい変遷の象徴となったローバーのことを「憎い」と表現したのだ。

 イギリスは自動車ブランドの数が多かっただけでなく、産業としての規模も大きかった。第二次世界大戦後、アメリカに次ぐ世界第2の自動車生産国だったイギリスは、自動車輸出では世界最大の規模を誇っていたという。

 しかし、敗戦国だったドイツや日本の復興が進んで自動車産業が発展すると、イギリスの地位は相対的に後退。1970年代から1980年代にかけては品質の点でもライバルに後れを取っていたことから国際的な競争力はさらに低下した。前述した合従連衡は、そうした対策の一環として行われたのだが、時すでに遅し。2000年にはローバー・グループも解体され、民族資本のイギリス自動車メーカーはここに終焉(しゅうえん)を迎えたのである。