糸川英夫博士(撮影:1967年)
写真提供: 共同通信

「ものづくり大国」として生産方式に磨きをかけてきた結果、日本が苦手になってしまった「価値の創造」をどう強化していけばよいのか。本連載では、『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』の著者であり、故・糸川英夫博士から直に10年以上学んだ田中猪夫氏が、価値創造の仕組みと実践法について余すところなく解説する。

 第10回では、仕事や職場が変わっても通用する「ポータブルスキル」について紹介。糸川博士は、なぜ飛行機、脳波測定器、バイオリン、ロケット…と研究の対象を変え、進化し続けることができたのか。

ファームスペシフィックスキルとポータブルスキル

 複数分野の知識を持ち、創造力を駆使して新しい価値を生み出すスキルを持つ人材は、欧米では転職時に非常に高額な年収が提示される。利益を生み出す人的資本として捉えられるからだ。

 しかし、そのスキルには、転職先に持ち運びできるものとそうでないものがある。そこで今回から2回にわたり、企業にとっても個人にとっても重要と思われる価値創造システムの2つのスキルについて考察しておこう。

 ある取引先の顧客が集まるセミナーに参加していた私の同僚は、そのセミナーでいびきを書いて寝てしまったため始末書を書かされたことがあった。前日に夜更かしをしてしまったのではなく、プレゼンターの話があまりにもつまらなくて睡魔に抵抗できなかったというのだ。

 特定の企業の中でしか通用しない固有のスキルを「ファームスペシフィックスキル(Firm specific skill)」と呼び、どんな仕事や職場でも活用できる汎用性の高いスキルを「ポータブルスキル(Portable skill)」と呼ぶ。

 このプレゼンターの場合、その会社固有のサービスに対する知識を獲得するスキル(ファームスペシフィックスキル)はあったが、参加者が睡魔に襲われないように、うまく伝えるプレゼンスキル(ポータブルスキル)がなかったのである。

 その会社でしか通用しないファームスペシフィックスキルとポータブルスキルを分けて考えることは、人生にとって重要な意味を持つ。そのため、厚生労働省は、ポータブルスキルをミドルシニア層のホワイトカラー職種のキャリアチェンジ、キャリア形成を進める際の重要なスキルと位置付けている。

トヨタ製品開発システムはファームスペシフィックスキル

 このことを価値創造システムに当てはめて考えてみよう。トヨタ製品開発システムはトヨタ自動車固有の価値創造システムで、部品点数が数万点の自動車に特化し、トヨタの体質と仕組みに支えられている。そのことは、『トヨタ チーフエンジニアの仕事 』(北川尚人、講談社+α新書)で次のように紹介されている。