たった一通のはがきを載せたドローンが空を舞い、山奥にぽつんとたたずむ一軒家に届ける──。日本郵便では、6年以上にわたってドローン・配送ロボットによる配送高度化に取り組んできた。“堅い会社”というイメージのある日本郵便だが、「日本初」の試みにも大胆に挑戦している。同社は次世代の配送の開拓をどのように進めてきたのか。前後編にわたって裏側に迫っていく。
前編の本記事では、この取組みを立ち上げた経緯や組織体制に着目する。一般的に大企業では、本体から切り離した「出島」が新規プロジェクトを推進するケースが多い。だが、日本郵便でドローン配送に挑戦したのは、むしろ本体の中心部だった。ドローン配送の取組みを担当する日本郵便 郵便・物流オペレーション改革部長の世羅元啓氏と、同担当部長の上田貴之氏に話を聞いた。
■【前編】資料を吹き飛ばした社長室フライト、日本郵便のドローン配送「始まり」のとき(本稿)
■【後編】会社の未来を社員に伝える活動に、日本郵便がドローン配送に取組む大きな意義
固定観念に囚われずアイデアを生み出し、逆境に屈せず人・組織・技術の壁を乗り越えてこそはじめて、企業変革は成し遂げられ、新たな価値が創造されます。本特集では、新規事業をはじめとしたプロジェクトの軌跡をたどり、リーダーたちの思いや苦労、経験にフォーカスしながら、変革実現のヒントを探ります。
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きっかけはスイスのニュース、ユニバーサルサービスを維持するために
2023年3月、東京都・奥多摩町の郵便局からドローンが飛び立った。白と赤の機体には「日本郵便」の文字。同社が行うドローン配送飛行の取組みだ。奥多摩郵便局の屋上からドローンが離陸し、2kmあまり離れた配達先に荷物を届けて帰ってくる。
ドローンの飛行は条件ごとに「レベル1~4」に分類され、それぞれ承認や許可が必要となる。奥多摩で行われたのは、昨年(2022年)12月に解禁された「レベル4」による日本初のドローン配送である。レベル4の定義は「第三者上空(有人地帯)を含む飛行経路での補助者なし目視外飛行」となっている。
同社は国内でいち早くドローンやロボットによる配送の取組みを行ってきた。2017年2月、福島でのドローン配送試行を皮切りに、レベル3による郵便局間での配送や個宅への配送、複数戸への配送、そして上記レベル4の配送など。多くが日本初の取組みだ。
どのような経緯で始まったのか。今年4月から部長となった世羅氏は「当時の担当者ではありませんが」と前置きした上で、現在の代表者としてその経緯を述べる。
「ドローン配送は2016年度頃から検討が始まりました。もともと当社では、さまざまな先端技術を活用して郵便事業を高度化する取組みの検討を行っており、そこで着目した技術の一つがドローンだったのです」
当時、同社では「探索の取組み」として、荷物の三辺計測を行う技術や、荷物の積替えをロボットアームで行う技術などを外部企業とともに調査研究を実施。その一つにドローンがあったのだという。
とはいえ、当時はまだドローンという言葉が聞かれ始めたばかり。外で飛ばすにも法的な整備さえされていなかった。しかし、海の向こうから届いた1つのニュースが契機となった。当時から取組みを担当する上田氏が説明する。