「空飛ぶクルマ」によるエアタクシーサービスは、機体を運用するための「イノベーション共創プラットフォーム」(自治体や多様な企業による)が成立して初めて実現が可能になるのである。

大阪万博(1970年)でのワイヤレステレホン体験の思い出

 大阪・関西万博では限られた条件下とはいえ、「空飛ぶクルマ」によるエアタクシーサービスはほぼ確実に実現する。それでは結局のところ、このサービスが「大阪版ロードマップ」に描かれているように日常に溶け込むモビリティになり、多様な「空飛ぶクルマ」の運航を支える仕組みとして大阪の産業経済が発展するかどうかについては「社会受容性」が大きな鍵になるのでは、と筆者は考える。

「社会的受容性」とは単に人々の認知や理解を得るだけではなく、夢や想像力をかき立てる感動体験だったり、災害発生時など緊急時にも役立ったりする存在、という意味である。「大阪ラウンドテーブル」でも重要テーマのひとつとして「空飛ぶクルマ」のハード面(機体開発や離着陸場の整備)だけでなく、ソフト面である「社会的受容性」についての議論や取り組みが行われていることは、それ自体素晴らしいことだと思う。

 筆者が大阪・関西万博の「空飛ぶクルマ」について情報収集している際にふと思い出したことがある。1970年の大阪万博の電気通信館(日本電信電話公社、現在のNTT)のワイヤレステレホン(携帯電話)体験である。

 クリーム色で固定電話の受話器の形をした、無骨なデザインではあったが、この未来の電話機を使って会場から日本国内への通話や会場内の端末同士の会話ができた。「月の石」や「動く歩道」と並んで、たちまち大阪万博の目玉コンテンツとなり、大阪万博の期間中に約65万人がワイヤレステレホンの通話を体験したと言われている。

 それから30年以上経って携帯電話サービスが社会を支える産業として発展し、人々の生活を潤した。先般のような通信障害が発生すれば、我々の日常生活がどれだけ携帯電話サービスに依存しているか思い知らされることになる。またこのサービスは多くの企業に事業収益の拡大や雇用機会の創出をもたらす一方で、気象予報などの公共サービス、災害時の救急搬送や離島や中山間地域とのライフラインとしても定着していることは語るまでもないだろう。

「大阪版ロードマップ」を絵に描いた餅に終わらせないために・・・。「空飛ぶクルマ」には1970年の大阪万博で夢のワイヤレステレホンが歩んだビクトリーロードをぜひ突き進んでほしいものだ。