急速なデジタル化

 同時に、インドが近年、急速にデジタル化を推進しているという事情も指摘できます。

 今やインドは、世界中のIT産業に人材を供給しているIT人材大国です。名だたるテクノロジー企業の経営陣にもインド出身者が目立ちます。インド工科大学(IIT)は今や、エンジニアリング分野で世界のトップ大学の一つとなっています。

 このようなインドの急速なデジタル化を象徴するのが「アドハー(Aadhaar)」です。アドハ―は2010年に導入が開始された、日本の「マイナンバー」類似の国民ID番号です。12桁の個人番号に本人の顔写真や生体情報がひも付けられ、さらにシステム接続に必要なAPIも公開されているため、生体認証が可能であり、さまざまな民間サービスにアドハーを活用していくことも可能です。現在、アドハーの登録者は10億人を優に超え、世界最大の国民ID番号システムとなっています。

(c)Unique Identification Authority of India

 また、銀行口座にアドハーとのひも付けが求められたため、銀行口座を開設すると必然的にアドハーが発行されることになり、アドハーの普及とデジタル銀行サービスの普及が並行して進みました。日本では銀行口座とマイナンバーのひも付けは義務ではありませんが、インドでは既に、世界最大の国民ID制度が運営され、国民の大多数がこのIDを保有し、また、銀行口座とのひも付けも既に行われているわけです。

アドハーの発行数<単位:10億人>
青:銀行口座とひも付けられずに発行されたもの
赤:銀行口座とひも付けられて発行されたもの

出典:Unique Identification Authority of India

 このように、暗号資産や地下経済への対応が大きな課題であり、一方でデジタル化はかなり進んでいるインドで、「投機の対象にならない、新しいデジタル技術を取り込んだデジタル通貨」が作れないかという問題意識が出てくることは自然といえます。シタラマン財務相も冒頭紹介したスピーチの中で、中央銀行デジタル通貨の発行によりデジタル経済を発展させるとの趣旨を述べています。

 現段階でデジタル・ルピーの詳細はほとんど説明されていませんし、仮に一般の人々が広く使えるようなデジタル通貨とする場合、十数億人が利用する規模のデジタル通貨を技術的にどう実現するかは、いかにエンジニアの豊富なインドとはいえ大きなチャレンジです。さらに、地下経済への対応といった意図も込めるのであれば、設計の難度はさらに高くなります。自国の事情に適したデジタル・ルピーをインドがどのように設計していくのか、これからの取り組みに各国が注目していくでしょう。

◎山岡 浩巳(やまおか・ひろみ)
フューチャー株式会社取締役/フューチャー経済・金融研究所長
1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。

◎本稿は、「ヒューモニー」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。