起業に至る理由や道は、優れた技術や経営者になりたいという強い思いだけではない。社史を読むと、創業者の、ごく普通の、身近なことに対する非凡な観察眼、そこから全く新しい産業を創り出していることにうならされることがある。
社史研究家の村橋勝子氏が小説顔負けの面白さに満ちた社史を「意外性」の観点から紹介する本連載。第8回は大和ハウス工業を取り上げる。
創業者の非凡な観察力
大手住宅総合メーカー、大和ハウス工業。創業者の石橋信夫が鉄パイプで建物をつくるという着想を得たのは、大型台風の後に見た植物からだった。
石橋信夫は奈良県生まれ。生家は、山林地主に代わって植林、育成、伐採まで森林の管理を請け負う山守(林業従事者)の一つだった。小学校卒業後、迷うことなく吉野林業学校に進学する。1942年に応召、満州に赴いた後、事故で生命も危ぶまれるほどの大怪我を負って奇跡的に回復したものの、敗戦とともにシベリアに抑留された。
1948年8月に復員すると、東京で3カ月ほど商売について学んだ後、家業の吉野中央木材に入社、翌49年2月、取締役・日本橋営業所長として大阪に赴任した。戦後復興、深刻な住宅不足のために、大量の材木需要が見込まれた時代である。
1950年9月、関西地方は最大瞬間風速59.1mを超える大型台風に襲われた。ジェーン台風である。住宅12万戸、田畑46万haが被害を受け、87万人余りが罹災(りさい)、倒壊した家屋は2万戸近くにおよび、死者・行方不明者は500名を超えた。戦後復興に加え、多大な台風被害からの復興に、材木需要に拍車が掛かった。