経済を超える価値とは

 アマゾンで買い物をしていると、自分の傾向をかなりスルドく把握した「おすすめ」がどんどん紹介されるようになります。このように、経済のデジタル化やビッグデータ、AIの発達は、個人の特質や属性を明るみに出してしまう可能性があります。もちろん、技術やアルゴリズム自体には悪気はありませんので、結局、技術を使う人間がこれをどう制御するかを、厳しく問われていくことになります。

 私がかつて住んでいた米国のバークレーでも、第二次大戦前には、居住している人々の人種構成の違いなどによる“Redlining”(地域の区別)が行われ、特定の地域に住む人々が、住宅ローンが借りられないなどの不利益を被っていました。そして、そうした地域を特定する地図まで作られていました。

1937年にThomas Bros社によって作られた地図

 もちろん、今ではこうした地図は作られていません。居住地域と住宅ローンの延滞率に相関があるかどうかにかかわらず、このような地図の製造や販売は、現代の先進国では認められるべきではないでしょう。人間にはその時々の経済的論理を上回る尊厳や価値があることは、法律を志す人々が最初に学ぶべき事柄でもあります。

 しかし、デジタル化やAIによるビッグデータ分析などは、無意識のうちに個人の人種や民族、ジェンダーなどを明るみに出し、“Redlining”と類似の行為につながってしまう可能性があります。このような分析がどこまで認められ、どこで踏みとどまるべきなのか、その線引きはきわめて難しく、また、各国の歴史や文化などの影響を色濃く受けやすい判断となります。

 デジタル化社会においてさらに面倒なのは、これに経済の論理も絡むことです。

 当局が強権的であったり、巨大企業の活動に対する制約が緩く、当局や私企業による個人データの収集が容易な国のほうが、短期的にはビッグデータの活用を進めやすいように見えがちです。海外企業も、全国民のデータベースが揃っているような国に進出したほうが、商売がやりやすいと考えるかもしれません。しかし、このような国は経済の論理では測れない大事な価値を犠牲にしているわけですから、中長期的には経済にとってもリスクとなります。

 日本としては、近代以降、世界が苦しみながら確立してきた個人の尊厳などの価値を尊重しつつ、デジタル化やデータの活用を進めていけるのだという姿を示していく必要があります。同時に、このような姿勢を海外に向けても積極的に説明し、デジタル化と個人の尊厳に関する国際的議論をリードしていくことが求められます。

 結局、どれだけデータ活用やDXが進んでも、それが当局や企業のためであり、人々のためではないような国や社会には、誰も住みたくないわけですから。

◎山岡 浩巳(やまおか・ひろみ)
フューチャー株式会社取締役/フューチャー経済・金融研究所長
1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。

◎本稿は、「ヒューモニー」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。