「ハンコ文化」の見直しのために

 私はハンコの美術的・文化的意義を否定するものではありません。しかし、人々の生活をより便利で豊かにしていく上でハンコの要請が障害になるのであれば、それは見直すべきでしょう。馬車やガス灯と同様に、かつてはハンコも「テクノロジー」の一つでした。しかし、時代が変わるとともに逆に生活改善の障害となるようなら、それはハンコ自身も望んでいないように思えます。

 それでは、日本のハンコ文化を見直すためには何が必要なのでしょうか? 3つほど、挙げておきたいと思います。

 まず、既にみたようにハンコをどうしても必要とする法律というものはほとんどないのですから、当局側が、「法律の規定がないのに慣行や惰性でハンコを要求し続けている事例はないか」を、不断にチェックしていくことが有益でしょう。

 民間の側の、企業や人々がハンコの慣習を自主的に見直せる環境作りも大事です。とりわけ、「よそが動かないのに自分だけでは動きにくい」という付和雷同型カルチャーの強い日本では、①経済団体などが音頭を取り、複数の主体が同時に見直しを進められるようにすること、②ハンコ文化を積極的に見直す企業などを、「従業員のライフスタイル改善に取り組んでいる」など、世論が前向きに評価してあげること、などが重要だと思います。

 第三に、デジタル技術の活用も必要です。日本ではハンコは「何となくのID代わり」として使われていますが、ハンコの英訳は“seal”であり、英米法上の「捺印証書(Sealed Deed)」が「封蝋(wax seal)」に由来することが示すように、ハンコの本来の趣旨は「ID」ではなく、「改ざん防止」にあります。すなわち、契約や文書の内容を確定させ、改ざんができないようにする「鍵」の役割です。したがって、そうした改ざん防止などの機能を果たせるデジタル技術などの活用を進め、取引の安全を確保していく工夫も大事になります。

 私は、数十年前に高校卒業記念として母校から貰ったハンコを今でも大切に持っており、社会人になった当初は、休暇届などにそのハンコを押していました。その後、勤務管理はシステム化され、ハンコは不要になりましたが、だからといって、私にとってそのハンコの価値が低下したわけではありません。ハンコを仕事などで敢えて強制しなくても、それぞれの人々のライフスタイルの改善とハンコへの愛着は、しっかりと両立できるものだと思います。

◎山岡 浩巳(やまおか・ひろみ)
フューチャー株式会社取締役/フューチャー経済・金融研究所長
1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。

◎本稿は、「ヒューモニー」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。