ではなぜハンコ文化?

 このように、「ハンコ」の根拠はじつははっきりせず、従来からの習慣がそのまま続いているものが多いのです。例えば、民法739条の「婚姻の届出」では、婚姻届について「当事者双方及び成年の証人2以上が署名した書面で」と記されているだけです。

 一方で法務省のホームページには、「婚姻届書には,成年の証人2名の署名押印が必要です」と書かれています(離婚届も同様)。

法務省ウェブサイトより

 このように書かれると、日本中の自治体は「右に倣え」になりがちでしょう。もっとも、自治体の中には、「押印の習慣のない国の人は署名のみです」と説明しているところもあります。これはまさに、ハンコが法律上の要請ではなく、ハンコがなくても婚姻が有効に成立することを示しています。

弥彦村ウェブサイトより

 ここで「押印の習慣のない国の人」とありますが、今や、世界で「押印の習慣」のある主要国は日本くらいでしょう。私はかつて米国とフランスで働きましたが、いずれの国でも職場や役所でハンコを押した経験はありません(そもそも日本語の名前のハンコしか持っていませんし)。ハンコを日本にもたらした中国でも、今や、人々が日常生活でハンコを押す習慣はありません。

「では、日本でなぜハンコが必要?」という問いに対しては、「重要な決定に際し慎重な判断を促すため」といった、法律論や本人確認とは離れた説明が行われることが多いように思います。しかし、例えば婚姻届や離婚届なら、わざわざ役所に足を運んで届けを出すことで既に慎重な判断は促されているはずで、それにさらに三文判を押すよう要求することに何か意味があるとは言い難いでしょう。