「地震、雷、火事、親父」という言葉がある。怖いとされるものを順番に並べたものだが、恐らく政治家にとって一番怖いものは選挙であろう。「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」とは、「伴ちゃん」こと元自民党副総裁の大野伴睦が残した名言であるが、政治家は、「ただの人」になりたくないばかりに、次の選挙に備え、なり振り構わず票稼ぎを続ける。
今年は必ず総選挙が行われる。朝早くから駅頭に立ち、慌しくホームに向かう人々に、肩からブラ下げたスピーカーで名前を連呼し、米搗きバッタのようにペコペコと頭を下げる立候補予定者の姿が見受けられる。選挙が始まれば、土下座をする立候補者までいる。その点は、古参も陣笠も大きな差はない。党首クラスの大物政治家が落選するケースも珍しくないからだ。
一方、選挙時に傲岸不遜な態度で有権者の前に立つ政治家もいた。通算7年2カ月にわたって首相を務めた吉田茂である。吉田は極端に選挙運動を嫌がり、演説時間も僅か2、3分で、聴衆に「諸君」と呼び掛ける始末だった。
政治評論家の細川隆一郎と吉田の秘書を務めた依岡顕知による『側近が初めて明かす吉田茂人間秘話』(文化創作出版)には、そんな吉田の選挙運動に纏わる面白いエピソードが綴られている。
吉田が初めて選挙に出馬したのは、首相在任中の1947年の第23回総選挙だった。新憲法において、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」(第67条第1項)と規定されたためである。吉田は高知全県区を選挙区とした。
演説嫌いの吉田に選挙参謀が、「総理、どうか、どうか有権者にお話しをして下さい。それが無理なら、せめてお名前だけでも一言、ご挨拶下さい」と懇願したところ、群衆の前で、「エー、吉田茂であります」と、本当に一言、名前を名乗っただけで、さっさと降壇してしまったほどだった。
さらにオーバーコートを着たまま演壇に上がった際、傍にいた県議会議員が「投票を頼む立場ですから、オーバーのままでは、有権者に失礼と思いますが」と恐る恐る頼むと、「話が逆ですね。頼むのは選挙民の方でしょう。聴衆はオーバーを着て、襟巻までしています。次の会場で、それを問題にしましょうか」と言って周囲を困らせたという。