私はアメリカに留学したころの癖が抜けないのか、いまでもしばしば洋書──英語の本を手にしないと、落ち着けない。
洋書に気にかかる一節
今月はアメリカの新聞の書評で『When China Rules the World(中国が世界を支配する時)』(マーティン・ジャック著、ペンギン社刊)が取り上げられていたのを求めて、読み始めた。大著である。
そのなかに、気にかかる一節があった。著者はどうして日本が第2次大戦後、アジア諸国の敬意をかうことがなかったのかと、問うている。そして、日本が19世紀末からアジアの規範であってきたのに、戦後、日本が自国の歴史に対する誇りを失ったために、アジアの人々にとって魅力が失われたと、断じている。
日本は明治維新後、アジアの諸民族にとって手本となって、アジアを西洋の圧制から解放したのに、第2次大戦に敗れてからは、自らを尊ぶことがなくなった。アメリカの従属国となって、物質的な生活を第一として享楽を貪るようになったからだ、というのだ。
だから、日本はアジアの大国になれないといわれると、私には返す言葉がない。
もっとも、著者は戦後の日本の経済興隆なしには、韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、インドネシアなどの “アジアのタイガース” と呼ばれる新興諸国の発展も、中国の目覚ましい経済発展もなかったと、説いている。
物質文明と引き換えに貴い歴史を捨てる
日本はこの140年あまりのうちに、アジアの解放とアジアの経済発展という、2つの興亜の大業を成し遂げた。それなのに、アジアにおいて敬意を払われることがない。
かつて日本はアジアの民によって、尊敬された。アジアの光であった。ところが、私たちは物質の繁栄と引き換えに、亜流のアメリカ人となって、「アジアの盟主」としての責任を負った貴い歴史と、アジア解放の夢のために生命を捧げた同胞の記憶を捨ててしまった。