「主体思想」が独裁者のイデオロギーに転化した時

平井:次の金正日の時代になり、主体思想は大きく変わりました。

 1986年に、金正日は「社会政治的生命体論」を提唱します。これは、首領(スリョン)、人民、党を一つの生命体とする考え方です。首領は脳、人民は手足、党が細胞や血管に相当します。

 この理論では、末端である手足は脳の指令なしに動くことはできません。脳と手足を繋ぐのは、血管や細胞、即ち党とされます。人間はやがては死を迎えますが、「社会政治的生命体論」では首領と人民が団結した存在となり、有機的に稼働していくことによって、社会政治的生命は永遠のものになると考えます。

 社会政治的生命体論に基づけば、すべてを決定するのは首領です。これは「すべてを決定するのは人間である」とする主体思想に矛盾します。

 現在の北朝鮮では、人民は自身の運命すべてを首領に委任するような政治構造となっています。これは、金正日が主体思想を統治理論に転化させ、党と指導者に対する絶対的な忠誠心を要求したためです。

 金正日時代に、主体思想は北朝鮮が独裁体制を保つためのイデオロギーとなったのです。

──北朝鮮の思想による政治統治は、金日成時代ではなく、金正日時代に始まったということでしょうか。

平井:金日成時代から既に始まっていたと言うのが正しいでしょう。

 金日成が亡くなったのは1994年ですが、1974年には金正日が後継者に決定しました。「金日成時代だが、金正日が実権を握っている」という二元構造が20年近く続いたのです。

 その期間、金正日は自分が次の権力を掌握するため、父親である金日成の主体思想の解釈権を独占しました。先ほど話した主体思想の統治理論化も、この過程で行われました。

──2011年12月に金正日が亡くなり、息子の金正恩が政権を引き継ぎました。金正恩は政権だけではなく、祖父・金日成の「主体思想」と父・金正日の「先軍思想」を継承したのですね。

平井:まず、金正日の先軍思想を知るためには、金日成の死去と金正日時代の幕開けから見ていかなければなりません。