浅井三姉妹と柴田勝家像(福井県福井市)浅井三姉妹と柴田勝家像(福井県福井市、写真:KEITA SAWAKI/a.collectionRF/アマナイメージズ/共同通信イメージズ)

 NHK大河ドラマ『どうする家康』で、新しい歴史解釈を取り入れながらの演出が話題になっている。最終回「神の君」では、大坂冬の陣でいったん和睦した徳川と豊臣が再び激突。大坂夏の陣が行われ、徳川が勝利を収める。豊臣秀頼の助命嘆願を受けた徳川家康の判断とは……。今回の見どころについて、『なにかと人間くさい徳川将軍』の著者で偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

晩年の家康を悩ませた豊臣家のニューリーダー秀頼

「腹の読めない狡猾な狸オヤジ」と評されがちな徳川家康をどう魅力的に描くのか──。

 家康を主人公にしたフィクションを創るときの、最大の壁といってもよいだろう。大河ドラマ『どうする家康』では、若き日の家康を「気弱なプリンス」として、家臣たちとともにたくましく成長する姿を描いた。

 妻の瀬名と息子の信康の死をきっかけに「なんとかしてこの戦乱の世を終わらせる」と決意。老練さを身につけて、家康は天下人へとひた走ることとなった。

 その総仕上げが豊臣家との戦いだ。最終回では、豊臣家が滅ぼされる「大坂夏の陣」について描かれることになった。

『どうする家康』では、登場人物がやたらとキャラ立ちしており、豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼も例外ではない。「老獪な家康に追い詰められたお坊っちゃん」ではなく「豊臣家の再興に奮起するニューリーダー」として秀頼を魅力的な人物として描いた。

 実際のところ「関ヶ原の戦い」に勝利しても、家康は豊臣家の家臣であることには変わりなく、豊臣家のシンボルである秀頼には、ずいぶんと気を揉んだらしい。

 家康が征夷大将軍になったときには「同時に秀頼様が関白になる」という噂が流れていたようだ。毛利輝元が国元に、次のような誤った内容の書状を送っていたことが分かっている。

「家康様が将軍になられ、秀頼様は関白へとおなりになったとのこと。おめでたいことにございます」