4月2日ロンドンで開かれる第2回金融サミットの準備会合として、3月13~14日にG20(20カ国財務相・中央銀行総裁会議)が開かれた。このG20に対し、「経済刺激を優先する米国と、金融規制強化を主張する欧州が対立」とか、「効果的な方策を打ち出せなかった」という批判が聞こえてくる。確かに個々の施策には新味がなく、大胆さも欠くだろう。だが、各国当局は様々な制約の中で最低限の国際協調を維持しており、歴史的には決して小さくない「前進」だと思う。また、各国は明示こそしないが、1990年代の日本の経験を「教科書」とし、あるいは無意識に日本の軌跡をなぞっている。今回は、筆者がそう考える理由を論じてみたい。
リーマン・ショック以降、昨年11月開かれた第1回金融サミットの共同宣言や、その後の各国当局の対応で抜本的な解決策は打ち出されていない。だからと言って、各国が批判されるべきだとも思わない。
全世界が大規模な経済危機に陥ったのは、1930年代の大恐慌以来のこと。その政策対応は、従来の常識にとらわれてはならない。3月14日のG20コミュニケの柱は、(1)金融システムの安定化、(2)緩和的なマクロ経済政策の実施、(3)既存の国際機関や枠組みを前提とする国際協力の強化、(4)既存の枠組みを強化する形で、危機再発防止を目的とした金融規制の中期的な改革・・・。「従来の取り組みの延長線上にすぎない」と言われてしまえば、それまでかもしれない。
だが、未踏の政策領域に入るからこそ、一国そして世界の政治・経済を預かる立場では、理論上は効果のある施策であっても、いきなり飛びつくことはできない。実務で試した経験があるのか、世論の支持を得られるのか、大きな副作用はないのかなどを、幅広い観点から検討する必要がある。
現実的な枠組み、「監督カレッジ」
例えば、世界的に業務展開している金融機関の監督をどうするか。この問題を考えてみよう。昨秋の段階では、各国当局はこうした金融機関を十分監督できないとして、「世界単一監督機関」創設や国際通貨基金(IMF)への監督権限付与などの案が浮上していた。確かに、国際金融システムの安定を確保するには、単一の国際機関が監督すべきだという議論はすっきりしている。
しかし、そんなことが現実に可能だろうか。
今回の危機では、各国当局が自国市場でさえ金融機関の不備を十分把握できなかったのに、現場から離れた国際機関の職員がそれを見抜けるのか。金融機関の破綻処理に際し、国際機関が当該金融機関の本国業務の保護を優先する一方で、海外現地法人・支店のある国の債権者や投資家の利益を犠牲にしても、現地国の当局や納税者は唯々諾々と認めるだろうか。
こうした能力や権限、正当性を持つ国際機関の登場は、現時点では想定できない。専門能力の高い人材の供給が限られているのに、国際機関にこうした才能が多数集まるとも思えない。マネーが国境を越えて瞬時に移動するのに対し、主権者・納税者である各国市民の意識はそこまでグローバル化していない。
現状では、各国当局が個別金融機関の情報を緊密に交換し、柔軟に対応する枠組みを目指すほうが、はるかに現実的で効果的だ。G20ではまさにこの方向で検討が進んでおり、こうした枠組みは「監督カレッジ」と呼ばれている。