ネットで見てみると、中宮寺の漆黒の半跏像とはちがい、広隆寺の半跏像は素朴な別種の趣きがある。実物の写真撮影は不可だったから、門前にあった案内板の写真を掲載する。気品が中宮寺のものに比べてまったく遜色ない。

 広隆寺のこの半跏像は通称「宝冠弥勒」と呼ばれて国宝である。広隆寺には、ほかにもう一体、通称「泣き弥勒」という半跏像(これも国宝)があるようなのだが、これは公開されていないようで未見(調べてみたら半跏像は全国に沢山あるが、国宝の半跏像は日本では以上の3点である)。

 広隆寺は予想以上の大きな寺だった。

 嵐電「太秦広隆寺」駅を降りると、すぐのところにある。

 仏像も半跏像だけかと思っていたら、講堂に一歩足を踏み入れた途端、思わず息をのんだ。国宝や重要文化財の仏像が数十点並んでいたのである。まさに圧巻だった。

 旅行から帰ってきて司馬遼太郎の『新装版 歴史を紀行する』(文春文庫)を読んでいたら、偶然、広隆寺が出てきた。そして、知らねばだれも読めない太秦(うずまさ)という地名の「秦」の意味がわかった。

 この秦は意外にも、秦の始皇帝の秦である。紀元前3世紀のころ、秦は古代中国を統一したが、わずか3代16年で滅んだ。その一族の一部は朝鮮半島に逃れ、数世紀を経て、日本にやってきたのだ。このことは『古事記』に書かれているらしい。