米国だけではなくロシアも中国も弱い者いじめが得意な国だ

1.ルールの限界とモラルの役割

 定められたルールを遵守するだけでは問題解決にならない。

 学校でのいじめ、企業経営や国家運営のガバナンス、米中摩擦、そして世界戦争のリスクなど身近な社会の問題から世界を巻き込む大問題に至るまで、現代社会が直面する様々な問題の根底には共通の本質的原因が存在している。

 本来一人ひとりが一定のモラルを持っていれば生じないはずの問題が至る所で深刻な社会不安を引き起こしている。

 人々の間で高いモラルが共有されていれば、人々の行動の細部に至るまで厳しく律する詳細なルールは必要なくなる。

 それにもかかわらず、多くの国ではモラルを高める道徳教育の重要性が十分認識されていない。

 詳細なルールを設けて厳しく人を縛ることによって様々な問題を解決しようとする姿勢ばかり目立つ。

 それは通常、問題の本質的な解決にはならない。

 ルールを増やしても、厳しくしても、人の心が変わらなければ、他者を苦しめる行為を止めることはできない。

 論語の一節に「これを導くに政を以ってし、これを斎(ととの)うるに刑をもってすれば、民免れて恥じることなし。これを導くに徳を以ってし、これを斎(ととの)うるに礼をもってすれば、恥あり、かつ格(いた)る」とある。

 社会を統治する際に、法律で規制し、ルールを守らない人を刑罰に処すれば、人々は刑罰さえ免れられれば何も恥じることがなくなる。

 社会を統治する際に、徳の大切さを説き、礼儀を重んじる方向に導けば、人々は悪いことを恥じ、自ら人の道に従うようになる。

 ここにルールとモラルの効果の本質的な違いが明確に表現されている。

 もちろんモラルだけですべての人々を良い方向に導くことはできない。国内社会や世界の安定のために強制執行力を持つルールは必要である。

 しかし、ルール設定の目的は本来、人に迷惑をかけない最低限の規律を確保することにある。

 人々が互いに思いやり、安心し、幸せを感じられる社会にするためには、ルール遵守を越えて、一人ひとりのモラルの向上と実践が不可欠である。

 そのためには家庭および学校での教育の役割が極めて重要だ。