まあ、そんなことはどうでもいい。

 東京言葉をしゃべる東京人は、しゃれて見えたものだ。だが考えてみると、かれらももともとは地方から来た人間なのである。いまではいっぱしの都会人みたいな顔をしているが、かれらももしかしたら、心の奥底では10歳までの記憶を引きずっているのかもしれない。

 わたしもいまでは当たり前のように「なるほど」といい、「いいね」「おもしろいね」とか使う。にせもの東京人である。

 冒頭に書いたように、まったく東京人の意識はない。東京に愛着がないのだ。いままで東京タワーには1回も行ったことがない。スカイツリーもおなじ。

 東京に暮らしてはいるが、ほとんど東京を知らない。六本木には、ジャズを聴きに1回行ったことがあるだけだ。街は知らない。麻布や青山には行ったこともない。

予想もしなかったほど遠くへ来たもんだ

 わたしが好きな町は、竹田を別にすれば、東京で最初に住んだ千歳烏山であり、松本であり、北浦和である。いま住んでいる埼玉の町も嫌いではない。結局この町で死ぬことになるのだろうが、かまわない。

 海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」という歌は、わたし自身の感慨でもある。地理的にも、年齢的にも、予想もしなかったほど遠くへ来た。

 東京で父と母と兄を失った。

 竹田での記憶をたどるとき、わたしは9歳の自分に戻る。

 父も母も兄もいた。思い返すと、しあわせな日々だった。

 多くの人にとってもおなじではないだろうか。

 しあわせは、気づいたときにはいつも過ぎ去っている。