そして、最後に夫人と共に撮影に応じてもらった。時の中曾根康弘総理に白羽の矢を立てられ国鉄に送り込まれたと言われた“最後の国鉄総裁”杉浦喬也氏の素顔の一枚だ。

最後の国鉄総裁・杉浦喬也氏。思いのほか気さくな人だった。右は杉浦氏の夫人(写真:橋本 昇)
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 そして翌年、国鉄は分割民営化された。松崎氏はJR総連を結成、傘下のJR東労組のトップとなった。彼は労働戦線の裏切り者として新左翼中核派から命を狙われているといわれ、彼の身辺には常に革マル系労組員がボディガードとして張り付いていたという。また、成田空港闘争を続ける国鉄千葉動労とJR総連東労組はその後血で血を洗う争いとなった。

民営化後の2人の運命

 この辺の事情を知るJR東日本のOBが証言した。

「東労組が送り込んだ運転手に対する暴行は凄まじかった。運転手の泊まる寮の階段に血が点々と付いていたこともあった。また逆に東労組による千葉動労の組合員に対する暴行も酷いものだった。あれはまさに戦争だったね」

 その後のJR東労組を20年にわたって牽引した松崎明氏は2010年に病死した。彼の亡き後、JR総連は弱体化し、2018年には3万3000人という大量脱退者を出した。やはりカリスマ松崎明という存在は大きかったのかもしれない。

 国鉄分割民営化を果たした国鉄最後の総裁、杉浦喬也氏は国鉄清算事業団の理事長に就任し、国鉄の残した負の遺産を引き継いだ。こうして赤字国鉄を軟着陸させた杉浦氏は後に全日空の会長になったが、陸を走る列車とは違い空を飛ぶ会社の経営体質は違ったようだ。生え抜きの役員らとの確執が社内抗争に発展、会長職を辞任した。

 新橋~横浜間に初めて陸蒸気が走ってから今年で150年。こんにち新幹線網は本州を縦横断するまでになった。例えばかつて東京―博多間は特急列車で12時間以上かかっていた。“12時間かかる世界”が鉄路の先にあったのだ。これが新幹線で大幅に短縮された。世の中が開けるということはつまらぬことでもある。

 最近のローカル線人気やレトロ列車人気はそれを物語っているようにも思うのだ。