滑走路に建機やトラックを並べ、ロシア軍機の着陸を阻止

 ビルクル氏は侵攻初日の2月24日を振り返った。

「クリヴィー・リフの軍事施設2カ所が4発のミサイルで攻撃され、完全に破壊された。翌25日、ロシア軍は輸送機IL76と戦闘機3機を空港に着陸させようとした。200メートルまで高度を下げたが、着陸できなかった。ロシア軍の侵攻で1968年にチェコスロバキア(当時)で起きたことが私の頭に浮かんだ」

「プラハの春でロシア軍は主要空港に夜間に着陸し占領した。この方法でチェコスロバキアを支配した。これを防ぐため24日、私はアスファルト舗装用の建設機械、掘削機、トラックなど大型車両30台をかき集めて滑走路に起き、空港の無線通信を遮断するようみんなに声をかけた。実はロシア軍の侵攻が始まった時、私たちはこの街に軍隊を持っていなかった」

 結成されたばかりの領土防衛隊1個大隊と、2つの迫撃砲を持った600人の国家親衛隊があるだけだった。最初の2週間、ビルクル氏は民間人の力を結集し、ロシア軍の侵攻を止めるためあらゆる手段を使った。鉄鉱石の採掘場で使われる大型トラックや重機で街に入る道路を封鎖し、産業用爆薬で橋を爆破した。ビルクル氏は産業用爆発物の専門家だった。

 侵攻2日目、2014年のマイダン革命でヤヌコビッチ大統領が失脚した際、ロシアに逃亡したウクライナ元内相からビルクル氏に電話がかかってきた。

 ロシア軍はものすごいスピードでクリヴィー・リフに迫っていた。状況は時々刻々と変化している。元内相はこう言って脅してきた。

「これから何が起きるかは明白だ。ロシアとの友好協力・安全保障に関する条約にサインしろ」