岩手県と青森県の津波被害の現地を取材したあと、どうしても「フクシマ」の現地を訪ねたいという思いが抑えられなくなった。地震・津波と原発事故という2つの側面を見ないと、3.11危機の本質は理解できないと思った。
もとより、チェルノブイリ、スリーマイル島と、人類が歴史上2回しか経験したことのない原発事故が自分の国に出現しているのだ。しかも、東京から新幹線でたったの2時間の距離に、である。これを目撃して記録・報告しないなら、何のために25年も記者をやっているのか分からない。
「分断された街」で人々はどうやって暮らしているのか?
とはいうものの、最初はまったく途方に暮れた。土地カンがないから、福島県の中で、どこを定点観測の場に選べばいいのか、さっぱり分からない。現地に行くことにしたところで、放射能がどうなっているのか、防護をどうすればいいのか、想像もできない。
記者仲間はたくさんいるが、放射線下での取材をしたことがある者など、いない。そもそも、報道されている放射線量で、現地に入っていいのか? いいとして、防護はどうするのか? 誰に聞くこともできない。
ライター仲間の長岡義幸さんが南相馬市の出身であることを思い出した。電話して聞くと「実家が津波で跡形もなく流されてしまった」という。何と惨い話だ。知り合いに被災者がいると、切実感が全然違う。
現地の知り合いを紹介してもらえれば、より深い話が聞けるかもしれないという読みもあった。
そうか、津波が来るということは、太平洋沿岸なんだ。ということは原発から一直線に並んでいるのだな。地図を広げて、初めて知った。恥も外聞もなく告白するが、私の福島県に関する知識など、その程度なのだ。
そう思って新聞記事を見ると、何だかヘンだ。南相馬は市域が「20キロライン」と「30キロライン」で3つに分断されているのだ。「立ち入り禁止の無人地帯」と「安全地帯」そしてその中間の「どっちでもない地帯」である。「安全地帯」は分かる。「無人地区」も、まあSF映画みたいなものだろう。しかし、この「中間地帯」=「屋内避難勧告地区」って一体なんだ?
この街で暮らす人々は、一体どんな生活をしているのだろう? その答えを知りたくなった(その過酷な生活の様子は前回に報告した通りだ)。
たまたまツイッターで、これも記者仲間の映画系ジャーナリスト、松林要樹さん(33)が原発のすぐ近くまで行ったという話が流れてきた。写真を見ると、何だか宇宙服みたいな防護服で身を固めているではないか。
松林さんの携帯に電話する。偶然彼は南相馬市にいた。「そんなに放射線危ないの」と聞くと、住民は誰も防護服など着ていない、こちらがそんな格好をしていたらみんな怖がって取材にならないから平服だ という。
何だそれは。へなへなと力が抜けた。若い松林さんの無鉄砲なんじゃないか、本当に大丈夫なのか、となおも心配していると、松林さんは電話の向こうで「必要なら福島市で使い捨て防護服が1000円で売っていますから買ってください」と笑っている。