5月1日夜、「ウサマ・ビンラディンが死んだ」という報に米国中がわいた。
2001年9月11日に、ワシントンとニューヨークで、そしてペンシルベニアの荒野でも、乗っ取った飛行機を自爆させ、米国民合計3000人近くを殺した9.11同時多発テロの首謀者がついに抹殺されたとして、米国の官民が歓声を上げたのだった。
この反応は日本とは異なる。「アルカイダ」という国際テロ組織の最高指揮官であるビンラディン容疑者に奇妙な同情や理解を示す大手新聞などが存在する日本とは180度違って、米国では保守もリベラルも、民主党も共和党もみな一致して、ビンラディン容疑者の死を対テロ戦争の勝利だとして歓迎したのである。
しかし、オバマ政権が公表したビンラディン追跡と射殺の作戦は、驚くほど大胆に見える一方、不可解なナゾに包まれた点や変な食い違いを見せる点があった。
対テロ戦争は日本も決して無関係ではない。国際テロからまったく無縁という国は、今の世界ではほとんど存在しないと言えよう。その上、たとえ日本に直接の被害や影響がなくても、アルカイダが代表するイスラム原理主義過激派のテロ活動への対処は、米国という同盟国が総力を挙げて実施してきた闘争でもある。だから日本としても、その実態を知っておく必要があろう。
2機のヘリコプターが隠れ家を強襲、作戦は40分で終了した
まずは米国の特殊部隊がビンラディン容疑者の隠れ家を急襲し、殺害するに至るまでの動きの概要を紹介しよう。
以下は、ホワイトハウスや国防総省の担当官たちの公式発表を基にした報告である。ただし、公式発表も後から訂正が出されたり、矛盾が見られたりするなど、不透明や不可解な部分が少なくない。
「パキスタンの首都イスラマバードから北東へ50キロほどの中都市アボタバードの3階建ての広壮堅固な居住用建物構内に、現地時間5月2日午前零時(米国ワシントン時間5月1日午後3時)過ぎ、米軍の強襲用武装ヘリコプターのブラックホーク2機が突然着陸し、降り立った米海軍特殊部隊シールズ(SEALS)の要員ら二十数人が建物内に突入した。
この建物には、ビンラディン容疑者が家族と共に住んでいた。米軍部隊はまず1階で内部にいた男たちから銃撃による反撃を受け、撃ち合いとなり、男2人と女1人を射殺した。男たちはビンラディン容疑者の側近の伝令だった。