ある病気が、真に恐れられるのは、どのようなときでしょう?
筆者が10代であった1980年代初頭、世界を震撼とさせた新しい病気がありました。AIDSです。
なぜAIDSは恐ろしい病気とされたのか。それは「不治の病」であったから。
予防や治す方法がなく、罹れば「死に至る病」であったため、私たち当時の若者も芯からこの業病を怖れ、私などずいぶんと品行方正な人生を送る(?)大きなきっかけになったように思います。
祖父が「スペイン風邪」を経験していたので、親が消毒魔に育った経緯もあり、私もまたアルコールやうがい薬と切っても切れない生活習慣が身に着きました。
おかげ様でここ40年ほど、ワクチンなど一度も打ちませんがインフルエンザに罹ったことがありません。
でも今回は、さっさとワクチンを打ちました。
なぜと言って、私が罹患したら私一人のことでは済まないからです。周囲、特に大学での私の研究室や合奏仲間、オーケストラのメンバーやソリストたちにも不可避の影響が及びます。
早い時点から「ソーシャルな環境」での演奏や収録、実験や測定が行えるシステムの立ち上げなど、予防策の開発に始まる徹底した取り組みを、実は一貫して継続しています。
「新型コロナ」は最初「弱毒性」などと誤解されたことで、感染を大きく広げてしまいました。
罹っても、大半の人は「軽症」「何ともない」・・・その後遺症がここまでひどいものであるとは、たった1年前にはおよそ認識されていませんでした。
そのような、この病気を甘く見る誤解が、事態を悪化させてしまいました。
ワクチンの確立で、いま「新型コロナ」は一定の範囲で「予防」のできる病気になりました。治療薬も開発され、致死率もずいぶん低くなった。
では「コロナ」は克服されたのか?
とんでもない、いまや21世紀の「不治の病」として社会問題化しつつあるのが「コロナ後遺症」にほかなりません。