(北村 淳:軍事社会学者)
第2次世界大戦中に日本海軍との数多くの海戦を経験して以降、アメリカ海軍は75年にわたって断続的に戦争に参加してきているものの、海戦と呼べるような本格的水上(対空・水中)戦闘を経験してこなかった(1988年のイラン海軍との戦闘「カマキリ作戦」は、かろうじて本格的海戦とみなし得るかもしれない)。
まして、過去20年にわたるアフガニスタンやイラクを主戦場にした戦闘では、海戦はおろか敵軍と面と向かって戦闘を交える経験は皆無に近かった。開戦劈頭においては軍艦から長射程ミサイルを発射して敵軍を直接攻撃することはあっても、敵施設を破壊したり敵将兵を殺傷する現場は1000km以遠であり、自らの艦艇が敵からの攻撃にさらされる可能性はほぼゼロに近いという状況であった。
このように少なくとも過去四半世紀以上にわたって敵艦や敵航空機との命のやり取りという極限状態をかいくぐってこなかった米海軍には、戦闘組織としての覚悟や心構えが希薄になってきているという批判や反省が、海軍関係者自身(とくに退役海軍将校で中国海軍の強力化に危機感を抱いている人々)から湧き上がっている。
米海軍は、南シナ海や台湾海峡に駆逐艦などを派遣して中国の海洋侵出政策に警鐘を鳴らす「公海航行自由原則維持のための作戦」(FONOP)を過去数年間にわたって断続的に実施してきた(その状況は本コラムでもしばしば取り上げてきた)。しかし、そのような対中示威作戦が功を奏していないことは誰の目にも明らかであり、「戦闘を前提にした海軍が実施するような作戦ではない」との批判が海軍関係者からも寄せられていた。