インドネシアの首都ジャカルタで、「雇用創出法案」可決に反対する市民のデモが激しくなっている。写真は、現場の警備に投入された陸軍の兵士(写真:ロイター/アフロ)

(PanAsiaNews:大塚 智彦)

 東南アジア諸国連合(ASEAN)の大国で、世界第4位となる人口約2億7000万人を抱えるインドネシアが深刻な危機に瀕している。ASEAN域内最悪の感染者数、感染死者を記録し続けている新型コロナウイルスによる医療崩壊や、感染拡大防止のための社会活動の制限に起因する大量の失業者と生活困窮者の発生と経済活動の停滞も大きな危機だ。しかし、より深刻なのは、インドネシア人のアイデンティティーにも関連する「市民の権利と自由の危機」だ。

 インドネシアでは1998年、前年からの東南アジア通貨危機の余波と地方から首都へと波及した学生や労働者などによる民主化要求デモにより、32年間続いたスハルト長期独裁政権が崩壊した。

 これによってインドネシアの人々は、長年の願いであった「民主化」による自由を手にすることができた。長年抑圧されてきた表現の自由、言論の自由、政治活動の自由、政党結成の自由、労働運動の自由、そして個人の各種権利が、一気に解き放たれ、それを謳歌する国民の姿が見られた。

 しかし民主化から20年以上が経過した現在、これまでややもすれば野放図に展開、拡大してきた「自由や権利」に歯止めをかけようとする動きが静かに、しかし確実に進行している。

 その原動力となっているのは、国民の88%を占め、世界最大数を誇るイスラム教徒による圧倒的多数の力と、公権力をしばしば超法規的に行使する警察、軍といった治安当局の専横である。

 イスラム教徒と治安当局による、「数と権力」を恃みにした「基本的人権への侵害」「宗教的自由の制限」「市民の権利阻害」が堂々とまかり通り、一般国民が抑圧され、あるいは沈黙を強いられる状況が出現しているのだ。

押しやられる宗教的寛容と多様性

 10月27日、首都ジャカルタ東部にある公立中学校の「公民と宗教」担当のTS教師(イニシャル)が生徒に対してSNS「ワッツアップ」を通じてあるメッセージを送信したのだが、その文面が問題だとして報じられている。

 TS教師は、複数の生徒が立候補している中学校の生徒会会長選挙に関して、「イスラム教徒以外の生徒へ投票をしないように」という内容を複数回送信したというのだ。

 TS教師は「候補者の生徒1番と2番には何があっても投票しないように注意しよう。私たちは多数派なのだから、われわれ多数の信条を分かち合える生徒会長が必要なのだ」とイスラム教徒の立場から非イスラム教徒の立候補生徒の「落選」を呼びかけたのだという。