モスクワを占領し、ソ連を崩壊させるというグデーリアンのシナリオ。対してキエフへ南進することを決断したヒトラー。華々しい緒戦の勝利にもかかわらずドイツを敗戦に至らしめたものは、何だったのか。『「砂漠の狐」ロンメル』『独ソ戦』の著者である大木毅氏が、伝説の戦車将軍グデーリアンにせまる。第2回/全3回。(JBpress)

(※)本稿は『戦車将軍グデーリアン「電撃戦」を演出した男』(大木毅著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。

第1回 実は弱かった?ドイツ戦車が対ソ侵攻に失敗した理由
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59644

ヒトラーの決断

 1941年8月18日、OKH(陸軍総司令部)は、ヒトラーに決定を迫った。政治・経済・交通の中心地であるモスクワを占領すべく、中央軍集団を突進させるべきだと意見具申したのだ。ところが、8月21日に示されたヒトラーの反応は、にべもないものだった。

 冬の到来前に達成されるべき目標のうち、最重要であるのは、モスクワの占領ではなく、クリミア半島の奪取であり、北方においてはレニングラードを孤立させることだと断じたのである。

 ここで、とくにクリミア半島のことが述べられているのは、ヒトラーが、そこはドイツの戦争遂行に不可欠なルーマニアの油田を脅かす「航空母艦」の機能を果たしていると信じていたからだった。

 重要なのは、かかる判断をもとにしたヒトラーの決断だった。彼は、グデーリアンの第2装甲集団がゴメリとポーチェプを結ぶ線に到達していることに注目し、そこから南進する腹を固めた。南方軍集団をしてウクライナのソ連軍を攻撃させ、これを拘束する一方、第2装甲集団をはじめとする中央軍集団南翼の部隊が、その敵の背後にまわりこみ、一大包囲陣を完成させるのである。

 かくて、1941年8月21日、モスクワではなく、キエフをめざすとの命令が下された。グデーリアンが、この南進の意向を知らされたのは、8月22日だった。中央軍集団より、使用可能な装甲部隊を南に向けて開進させることはできるかと照会されたのだ。グデーリアンは、わが装甲集団を同方面で使用するのは根本的に誤っているし、あまつさえ、それを分散するのは犯罪と考えると答えた。