2016年に採択された中央大学の研究ブランディング事業は、「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」。アジア太平洋地域の法律とその社会的機能を理解し、異なる法秩序が社会で共存する未来を探るプロジェクトだ。

中央大学 法科大学院 教授
佐藤 信行 氏

「世界の経済はグローバル化し、トラブルも国境を越えて起こるようになっている。しかし、それを支える『法』の仕組みは国単位で作られたもの。今も国境を越えられない。そのために多くの問題が起こっています」と話すのは、プロジェクトを率いる佐藤信行・法科大学院教授。
「それに対して何ができるかを考えるのがこのプロジェクト。まず、アジア太平洋に住む私たち自身が、アジア圏の多種多様な法秩序を理解するのが一歩目です」

「二歩目の目標は、『コンバージェンス』の方策提言。『コンバージェンス』とは止揚などと訳されますが、このプロジェクトでは、多様な法秩序を社会で調和させて併存させるためにどうすればいいのか、『出口』を見つけようとしています」

「プライバシー」の考え方は地域ごとに違う

 現在の主な調査対象は、日本・韓国・タイ・香港・シンガポール・オーストリアの6か国。ボーダレス化が著しい「国際取引」、「紛争解決」、「個人情報/データプライバシー」の3分野について、各国の法律家に「こうした出来事が起こったらどうするか?」という仮想の事件を質問し、法律・周辺情報について回答をもらう。

「地域性が目立ったのはDVの事例」と佐藤教授。
「日本だと、家族は通常ほかのメンバーの住民票を取れるのですが、DVの問題が起こり、妻と子供がシェルターに避難しているような場合、そのプライバシーを守るため、役所は夫からの住民票照会をブロックします」

「一方、今も共同体的な親族関係が残るタイでは、家族間でDV問題が起こったら一族の長老のところに行って調停をする、という伝統的な仕組みも機能しています。そのために必要な情報を親族が共有するのは、プライバシー侵害と考えられないこともある」
「タイでは、プライバシーの単位が厳密な『個人』ではないことがあるのですね。かたやイギリス法の影響が強い香港法では『個人』の範囲は厳格。個人・家族の考え方は国・地域によってかなり異なると分かります」

ビジネスは国境を越えても、紛争解決は国境を越えられない?

 その一方、国境を越えて「コピー商品はNGだ」という共通認識があっても、被害を取り締まれなかった事件もあるという。
「自社のコピー商品をインターネット上で売られたカナダの会社が、『Googleの検索結果にコピー商品が表示されないこと』を求めてGoogleを訴え、カナダの裁判所もその主張を認めた。ところがコピー商品の売り手は国外に逃げ、カナダ国外で被害が発生してしまった」

「困った会社は『世界中のGoogle検索結果からコピー商品が排除されること』を求めて、カナダの裁判所もこれを認めた。しかし逆にGoogleに『アメリカではカナダの裁判結果に従う必要はないですよね』とアメリカで裁判を起こされ、アメリカの裁判で争う体力がなかったこの会社は、そこでは負けてしまいました」

 この事件での問題は、ビジネスはインターネットを介して世界中つながっているにもかかわらず、紛争を処理する法の仕組みはバラバラだということ。世界で起こる被害に対応するために200か国の裁判所に提訴するのは非現実的だ。
「被害は国境を越えているのに、処理はそれぞれの国。これでは取り締まりも紛争解決も機能しない。この状態が続くと経済力が強い国に従うことになってしまう」

多様性の時代に合わせた新しい仕組みを

「ではどうすればいいか。従来型の国家の裁判所だけではなく、それを補う法律家のネットワークで解決する仕組みが必要になってきます」と佐藤教授はいう。
「『紛争解決』の分野については、『国際商事仲裁』の仕組みがすでにひとつの解決策になっている。国の裁判所を使わず、トラブルが起こったときの紛争解決者をはじめから選んでおく方法です」

「ほかの分野でも、国境を越えたプロフェッショナル同士の連携はこれからますます重要になる。私たちは、中央大学の『日本比較法研究所』のネットワークを中心に、アジア太平洋の法律家を集めて定期的にワークショップを行っています」

ワークショップの様子

 ワークショップでは、在野の法律家たちが、政府への提言、実務への反映をフラットに議論する。扱うテーマは、このプロジェクトの研究領域でもある国際取引、紛争解決、データプライバシーのほか、契約のあり方や契約条項の地域性、先端的な取り組みとアジア諸国の関わりなど多岐にわたる。

「お互いの法秩序の多様さを理解したうえで、経済力の大きな国の法システムを押し付けるのではなく、どういう調和の可能性があるのかを模索したい」と佐藤教授。
「もっと先の未来を考えると、『法多元主義』がひとつの解決策、『出口』になると思います」

 法多元主義とは、一つの国家/社会の中に、複数の法秩序が併存すること。すでにカナダのオンタリオ州では宗教裁判所を州法上認めようという政府案が出たが、イスラム法との併存に世論の反対が起き、結局は認められなかったという。
「最終的には、実態に合わせて認めざるをえなくなるでしょう。これからの多様性の時代に、一元的な法システムに従うやり方はそぐわないですから」と、佐藤教授は未来をにらんだ「コンバージェンス」を提案する。

<取材後記>

 ワークショップの次なるテーマの一つ「カナダのXジェンダーとアジアでの受容」について、プロジェクトに参加する本田隆浩博士(法学部兼任講師)が説明してくれた。

中央大学 法学部 兼任講師
私立大学研究ブランディング事業
リサーチアドミニストレーター(URA)
本田 隆浩 氏

 Xジェンダーとは、F(女性)でもM(男性)でもない性別の立場のこと。カナダでは2018年からパスポートの性別欄にXの表記が可能になった。
「日本はXジェンダーとしての法的な権利保護はないが、入国はできる。では、社会的にLGBTQIの差別が少ないものの法整備はされていないタイでは?ムスリム国家のインドネシアの場合は?」とは本田博士の問題提起。

 これからの私たちの社会が議論していく複層的なテーマを、さまざまな立場の法律家が考え始めている。国境を越えた議論の場自体が、すでに法秩序の「コンバージェンス」を生み出していることを感じる。


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