中世以来、つい200年ほど前まで、ヨーロッパ―アジア間の貿易は、一貫してヨーロッパ側の赤字でした。ヨーロッパではアジアの香辛料が大変珍重されていましたが、アジアではヨーロッパの品物で特にニーズの高いものはなかったのです。そのためヨーロッパは長い間、香辛料の対価として銀を充てるしかありませんでした。

 18世紀になると、ヨーロッパでは香辛料以上に珍重されたものが登場しました。綿織物と茶です。綿織物はインドから、茶は清国から輸入されました。

「紅茶ブーム」で対中貿易が大幅赤字になったイギリス

 インドの綿織物はヨーロッパで大ブームになりますが、やがてヨーロッパが産業革命を迎えると関係は逆転します。安価に綿織物を作れるようになったヨーロッパからインドが輸入するようになってしまうのです。

 一方のお茶ですが、これは輸入するしかありませんでした。特にイギリスでは、18世紀末に紅茶を飲む習慣が大ブームとなり、中国からイギリスへの茶の輸出が急増するようになりました。中国にはほかにも、絹や陶磁器といった魅力的な商品がありました。イギリスがこれらの商品の購入代金に充てていたのは、やはり銀でした。

 ただイギリスにとって、茶はほしいけれど、だからといって銀が流出する一方というのはいかにも悩ましい事態でした。「何か中国に輸出できる産品はないか」と思いめぐらした末に見つけたのが、植民地インドで作られていた「アヘン」でした。アヘンとは、ケシの実から取った液汁を乾燥させてつくる麻薬で、これをインドで薬や嗜好品として使用する習慣があったのです。

 イギリスはこのアヘンを使って、中国との貿易不均衡を解消しようと考えました。まず、インドでアヘンを製造させる。そのアヘンを、イギリス本国は安価に作れるようになった綿製品をインドに輸出することで購入する。購入したインド産アヘンを、インドから中国に輸出し、茶の代価に充てるという「三角貿易」に乗り出すようになったのです。