写真:徳原隆元/アフロ

海外で感じる「ドイツ人の僕」と「日本人の僕」

「高徳はドイツ人だよね」

 チームメイトからはいつもそう言われている。僕自身もドイツへ来てから「ドイツ人だな」と思うことが増えている。

 例えば、夕食へ出かけようと誘われるとき。行きたくはないけれど、はっきり断ると角が立つような気がして、「うーーん。どうしようかな」とあいまいな態度をとる。「行くの? 行かないの?」と迫られると、以前は困り果てた。出かけるのは億劫だけど、声をかけてくれた相手の気持ちに応えたい。そう思うから、食事に行く選択をし、結局疲れてしまい、出かけたことを後悔する。

 でも、今ははっきりと答えられる。

「疲れているから、今日は行かない。また誘ってよ」

「わかったよ」。誘った相手もあっさりと受け入れる。そして、その後、何度でも誘ってくれる。

 日本人は白黒をはっきりさせるより、グレーの状態を好むところがあるかもしれない。しかし、今の僕ははっきりしないことが落ち着かない。日本人から見たら、結構「キツイ人」だと思われてしまうかもしれない(笑)。

 そういうところにドイツ化されてきた酒井高徳を感じることがある。

 一方、海外で生活をするなかで、自分の「日本人らしさ」を感じる機会も当然多い。

 相手のことを思いやることや規律を大事にする日本人の気質は、人間が生きるうえで大切なことだし、僕自身もそういう「日本人らしさ」を大事にしたいと考えている。