アラブ世界を席捲する反政府デモの嵐に、思いの外あっけなく吹き飛ばされてしまったチュニジアとエジプトの長期独裁政権。ドミノ倒しに例えられる混乱の波は、2国に挟まれ、40年以上にわたり実権を握り続けてきたカダフィ大佐の国、リビアにまで到達した。
政権発足以来の危機に見舞われたリビア
「ジャマヒリア」なるイスラム教を基本とした特殊な直接民主主義体制を謳い、世界第8位の埋蔵量を誇る石油という戦略物資を利用して、そのカリスマ性ゆえの開発独裁により政権を維持してきたカダフィ大佐にとって、実権掌握以来最大の危機である。
ローマ、ウィーン、ベルリンとリビアの関与が疑われるテロ事件が相次いで発生していた1980年代半ばに製作された大人気の娯楽映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)には、プルトニウムを略奪したリビアのテロリストが登場する。
この頃の欧米では政治に無関心な一般人でもリビアをテロ支援国家と認識していたことの証左でもあるわけだが、そんな敵対関係のため、長い間、米国人はリビアに入国することができず、我々日本人も、観光での入国は決まりきったツアーコースに限られていた。
それでも不便さを忘れさせるだけの魅力を持っていたのが、点在するローマ遺跡の数々。地中海地方にはローマ遺跡などいくらでもあるじゃないか、と言われそうだが、とにかく、このあたりのものは群を抜いて保存状態が良いのである。
その代表とも言えるのがレプティス・マグナ。
アフリカ出身初のローマ皇帝
古代ローマ時代、アレクサンドリア(エジプト)、カルタゴ(現チュニジア)と繁栄を競っていた北アフリカきっての大都市だったところだ。
この地で生まれたセプティミウス・セウェルスが2世紀末にアフリカ出身初のローマ皇帝となったことは、リビア人の誇りでもある。
観光客が少ないことが幸いして、静かに往時への思いを満喫できるのも魅力だった。
パクス・ロマーナと呼ばれる最盛期も2世紀後半から衰退が始まっていたことは『ローマ帝国の滅亡』(1964)にも描かれているが、そんな頃の皇帝だったセウェルスが、自らのご当地に最大限の力を投入して作り上げた巨大都市なのである。