昭和51年における防衛計画の大綱成立の経緯
「平成23年度以降に係る防衛計画の大綱」(23大綱)は、従来の基盤的防衛力に代わる動的防衛力という構想を導入した。ところが、「動的防衛力の意義が一般国民には分かりにくい。
高度な技術力と情報力が支える即応性、機動性、柔軟性、持続性及び多目的性を具備した動的防衛力を建設するというが、それは、どこの先進国でも保有すべき現代軍事力の一般原則ではないか。
これまでの基盤的防衛力とは、どのように違うのか」など、もっともな疑問を抱く声も聞こえてくる。
しかるに、動的防衛力の当否はさて置き、1976(昭和51)年に作成された「防衛計画の大綱」(51大綱)の成立の経緯を先ず再確認する。ちなみに、基盤的防衛力は「51大綱」における構想であった。
1954(昭和29)年7月に、保安庁・保安隊をベースにして防衛庁・自衛隊が発足した。
目次
- 1. 昭和51年・防衛計画の大綱成立の経緯
- 2. 基盤的防衛力の背景と問題点
- 3. 警察予備隊・保安隊時代
- 4.池田・ロバートソン会談
- 5. 動的防衛力への期待
その4年後の1958(昭和33)年から、3年間に及ぶ第1次防衛力整備計画(1次防)が始まり、爾後、それぞれ5年間の第2次、第3次、第4次各防衛力整備計画(2次防~4次防)が通算18年間、続いたのである。
その前提条件は、1953(昭和28)年に保安庁が作成した長期防衛力整備計画案であった。
4次防が終わる1976(昭和51)年になると、先の長期防衛力整備計画案に代わる「防衛計画の大綱」(51大綱)が成立した。
これに基づいて、当初3年間は諸般の事情による単年度ごと業務見積もり、その後、5年ごとの中期防衛力整備計画が4回、すなわち「51大綱」「08大綱」「17大綱」「23大綱」と続いて、現在に至っている。