ひらがなやカタカナは表音文字だし、読むときにそれほど時間を取りません。ところが漢字は画数が多いし、読んだことがない漢字はなんだろうと考えますよね。漢字は表意文字なので、意味を持っています。元は象形文字だし、絵なんですね。漢字を使うということは、このコマの中に絵を描くこととまったく同じことなんです。
漢字を増やすということは、引っかかりを増やすということです。だらっと読み流してほしいところは、だらっと読み流してほしいように書かなければいけない。ここは引っかかってもゆっくり読んでほしいなと思ったら、引っかかるように書かなければいけない。文章のうまいヘタよりも、漢字の含有率のほうが版面作成にとっては問題になります。なので、内容に応じて漢字の含有率は何パーセントぐらいかなということをまず計算します。
小説を書き始めるときは、まずその作品で使う漢字のレベルや字種を決めます。巷説百物語シリーズと百鬼夜行シリーズでは漢字のチョイスが違います。『虚言少年』とか『どすこい』はもっと違います。それぞれに基準があるんです。
たとえば「いう」という言葉。普通、sayの場合は「言う」で、そうでない場合は「いう」と書くのが標準なんでしょうが、百鬼夜行シリーズでは「云う」で統一しています。作品内の時代性も影響していますが、あのシリーズは漢字表記の単語が多いので「い」や「言」が邪魔になるという理由もあります。「言」は意外に黒く見えるし「い」はまるで逆ですから。まずそういう決めごとをして、そのうえで先ほどのような細かい作業をしながら版を組んでいきます。それが僕の小説を“書く”という仕事になります。
句点の周り(上下左右)の4文字が画数の多い漢字だと、白い四角が見えてしまいます。そのへんになにかあるぞというときは、四角を見せてもいいけど、読み流してほしいところにそういうことをしてはいけませんね。
そもそも隣の行の文字って、読む前から見えてますよね。識字されるのは読んでいる行だけですが、その前後(左右)の行も常に目に入ってはいる。つまり次に読む行はあらかじめ読者にわかっているわけです。文意はわからなくても形は見えている。同じ字が並んでいたりするとわかってしまいますね。
たとえば、「そ」「そ」「そ」のように同じ字が横に並ぶことがあります。そこに引っかかってほしくないのに、「そ」「そ」「そ」と並んだら気持ち悪いですね。そういうときは、単語を取り替えるとか、文字を取り替えるとかで上下させればいい。そういう配慮はこと細かにしなきゃいけない。
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