次はマンガの妖怪、水木しげるさんの『禁断の女』の1ページ。「彼は真夜中まで追いかけた」という一コマの中に真夜中が全部入っています。コマの外に時間はない。代わりにコマの中に時間が流れていて、絵が時間を表現している。W3はコマ運びが時間を表現していた。これは方向性が逆なんですね。

 絵と文章、相互の関係性を調整することで、見せ方、特に作中に流れる時間と運動を変化させることができるわけです。水木しげるの場合は絵の中に時間がある。手塚治虫の場合は絵の外に時間がある。では、小説の場合どうなのでしょう。

パートごとに一目でわかるように

 これは午前中に書いていた未発表の原稿です。まだでき上がっていないのでまるでダメな感じですが。

 小説はストーリーそのものではありません。ストーリーをどうやって読んでいただいたらおもしろくなるかということを考えて書かれた文章が小説ですね。ストーリーは材料に過ぎず、プロットは方法でしかありません。

 プロットは複層的に用意されるだけでなく、章や段落、文節の中にもあります。入れ子の構造になっているわけで、版面作成上問題になるのはこちらの方ですね。プロットの中にプロットがあるようなもので、そこを整理整頓しないと、非常に可読性の悪い小説になってしまう。この原稿もいくつかのブロックに分かれています。ブロックごとに色つきの枠で囲んでいます(写真)。
 

写真 原稿をブロック分けした例

(*配信先のサイトでこの記事をお読みの方はこちらで本記事の図表をご覧いただけます。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53511

 おおまかに、小説内での現在進行形パートと、そこに至るまでの経緯説明パート、説明に必要な情報のパートがあるわけですが、それらは時系列に沿って並んでいるわけでも、因果的に並べられているわけでもありません。それでは小説にならない。また、必要情報として開示されたパートにも、視点人物の心象と客観的説明があるし、回想の中で回想してたりもするわけですね。それらを渾然一体として示すのでなくては小説の体裁にはなりません。読者は意識下でそれらを組み直してストーリーを再構成するわけです。