翌1881年、兄弟は、逆の現象、水晶に電圧をかけると微妙に変形するということを確認した。科学者は、長く、地道な、研究・実験・観察を経て、「発見」に至る。発見までの長い道程は、科学者に内包された「独創性という意志」が支える。

約1世紀を経て、インクジェットへ

 ピエールの発見から約1世紀後、高性能のインクジェットプリンターの開発に挑んでいたエプソンは、インクをノズルから吐出させるアクチュエーター、つまり動力源に「ピエゾ素子」を使ったらどうかという構想を抱いていた。ピエゾ素子は、薄くすればするほど、より大きく変形する。これは使える、と確信していたのは当時の開発チームだ。そして、どうやったらピエゾ素子の変形量を大きくできるか、ずっと考えていた。それまでのピエゾ素子は、100Vの電圧をかけても変形量が少なく、インクが飛び出しにくかった。それを解決するためにインク室を大きくしなければならず、結果としてヘッドも大きくなって、プリンター本体も大型化し、コストも上昇してしまう。

蝶のように舞い、蜂のように刺す

 「飛びを徹底的に極められるようなヘッドというのが、インクジェットの本質を極めるもので絶対不可欠なもの。私が中学生だった頃、ボクシングですごい選手がいて、蝶のように舞い、蜂のように刺す、という有名な台詞があるんですけど、こういうものをイメージしたんだよね。自在にインクをコントロールしてやれば、飛びは絶対にうまくいくはずだと」

 当時の開発チームのリーダーの言葉だ。インクを自在に飛ばすためには、吐出のパワーが必要だ。そのためには、低電圧で大きな変形量が得られる「薄いピエゾ素子」が必要となる。ピエゾ素子を薄くすればするほど、低電圧で大きな変形量が得られ、インクを自在に飛ばせるようになる。

 素材から部品、完成品まですべて自社で開発することを決め、1992年にマイクロピエゾが開発される。さらに20年かけて、ピエゾ素子を薄膜化させたPrecisionCoreマイクロTFPプリントヘッドが誕生する。要するに、長い長い時間をかけて、ピエゾ素子を、1ミクロンまで、可能な限り薄くしたのだ。

精密な極小の技術が広大な世界を拓く

 ピエゾ素子の改良は、一つの大きな転換点をもたらし、インクジェットは飛躍的に進化した。熱によってインクを変質させないため、さまざまなインクを使うことができる。用紙に触れることのないプリントヘッドは、ほとんど限界まで小型化され、精密化され、吐出量を正確に制御できるようになり、省電力化の大きな担い手となった。ピエゾ素子に出合って以来、おそらくエプソンも、数え切れないほどの挫折、喪失感を味わったのだと思う。だが、開発への意欲は途切れることはなかった。技術者個人も、チームとしても、会社全体としても、「できない」と思わなかった。「むずかしいだろうが、できないということはない」それは創業から今日まで、エプソンの企業理念、哲学となっている。「寂しかった時期」はあったのかもしれないが、「本当は決して寂しくなかった」のだ。

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■村上龍インタビュー「極小の世界への、はるかなる旅」
https://www.epson.jp/products/dokusoryoku/interview/

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■WorkForce Enterprise スペシャルページ
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