第1回「台湾は日本が近代国家に育てた」
第2回「国民は二の次になった日本の政治家」
第3回「台湾と日本で新しいアジアの時代をつくろう」
マット安川 2010年ほど、この国の未来を不安に感じた年もありませんでした。政治、経済、教育、福祉、すべての分野において、日本はまだ「指針」を見出せずにいるのではないでしょうか。
そんな焦燥感とともに、元台湾総統・李登輝さんへのインタビューをここにご紹介させていただきます。
2010年7月末に行われたもので、番組では一部しかご紹介できませんでしたが、JBpressさんのご厚意とご尽力により、ここに全編公開することができました。
実は李閣下とは、先代ミッキー安川との対談企画がありながら、急な不都合で叶わなかった過去があります。リベンジというわけではないのですが、日本がたくましかった時代を知る賢人に、祖国再生の知恵を授かりに行ってきました。
台湾に「龍馬会」が誕生した
李登輝 坂本龍馬の「龍馬会」が台湾に出来上がります。(2010年7月21日「台灣龍馬會」が発足。李登輝氏は同会名誉会長に就任した:編集部注)
龍馬会が台湾に出来上がるというのはね、日本と台湾との心と心の結びつきが、ここまで来ているということですよね。
龍馬会を台湾で結成したら、(日本の「全国龍馬社中」の)橋本(邦健)会長や、高知県の尾崎(正直)知事まで来ましたよ。日本と台湾がこういう形で、中央政府だけではなくて地方や民間の団体がどんどん結びついていく。非常に大事なことです。
私が坂本龍馬に非常な思い入れを持っているというのは、日本の明治維新と、その中で彼が果たした役割が、戦後の台湾の民主化の歴史と大きく関わっているからです。
台湾は戦後から今に至るまで、下から上に突き上げる民主的な力が、台湾を大きく変化させる原動力になりました。
「祖国の中国化」に台湾の人民が反抗
というのは日本が戦争に負けた時、台湾は中国に返されるというようなことは言われていない。でも蒋介石政権が軍隊を連れて台湾にやって来て、「祖国の中国化」という大きな思想を持ち込んできました。
これに対する、もともと台湾にいた人民の反発が「二二八事件」という全島的な騒動を起こすわけです。この騒動が基礎になって、台湾人の当時の政府に対する反抗が非常に強くなりました。
二二八事件では非常にたくさんの若い人が殺戮されまして、それから後は、国民党政権が大陸で国共戦争に負けて台湾にやって来て、戒厳令を敷いて、共産主義と関係のある人とか政府に反対する人を片っ端から白色テロでね・・・。(当時、李登輝氏自身も当局の厳しい取り調べを受けている)
昔、徳川幕府が安政の大獄であらゆる尊皇の志士を殺し始めたでしょ。吉田松陰がそのとき30歳で殺された。それと同じような時代が台湾にもあったんです。