2022年のサッカー・ワールドカップ開催地競争で日本を打ち負かしたカタール。潤沢なオイルマネーに日本は完敗、といった報道が目立つが、カタールのサッカーリーグは、今や多くの有名選手を擁し、世界も注目するもの。
世界の注目を集め始めたカタールのサッカーリーグ
以前は、1980年代頃までの日本プロ野球界に似て峠を越した欧州選手たちがやって来る「年金リーグ」だったが、今や旬のスターを引き抜くほどの存在だ。
アラビア半島周辺はもとより、アルジェリアなどアフリカのイスラム圏出身の有力選手たちが好んで移籍してくることもその状況を加速させている。
日本のサッカーファンにとってカタールと言えば、1993年10月、初のワールドカップ本大会出場を決定寸前で逃した「ドーハの悲劇」の舞台として忘れられないだろう(ドーハはカタールの首都)。
イラクとの予選最終戦、ロスタイムの失点で引き分けとなり出場権を逸した時の日本中の落胆ぶりは大きかったが、対戦相手のイラクにしても状況は似たようなものだった。
他試合の結果次第では本大会出場のチャンスも残っており、選手たちは必死に戦っていたのだが、同時に、敗退した場合に待っている仕打ちへの恐怖にも怯えていたのだ。
予選で敗退しイラク選手は多数投獄の憂き目に
湾岸戦争後も堅固なサダム・フセイン独裁体制が続いていたイラクでは、残忍さでは父親以上とも言われていた長男ウダイがスポーツ大臣に就任し、結果次第では代表チームへの処罰もあることを示唆していたからである。
実際、本大会出場を果たせなかった代表選手たちは、帰国後、多数投獄されてしまったらしい。
翌年本大会が開催される地、米国も気をもんでいた。湾岸戦争終結から間もない1994年の大会だけに、イラク選手団が米国にやって来るとなると、何かしら軋轢を生むことは必至だったからである。
結局、アジア代表はともに親米とされる韓国、サウジアラビアということになり、サウジはベスト16に入る健闘を見せるなど、米国にとっては丸く収まったかのように見えた。