はじめに
2001年9月11日の夜、突然ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が激突というショッキングなニュースがテレビから流れてきた。
このニュースを見た瞬間は、1985年8月、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した時と同様に航空機に重大な不具合が起こって操縦不能に陥り、運悪くビルに衝突したのだろうと思ったが、その後、まもなく同時多発テロであると報道された。
民間航空機がテロの手段として使われたということは、衝撃というよりそこまでやるのか、というのが正直な思いであった。
またこの時は、遠い米国で起こったテロに対し、数カ月後、テロ対策の一環として、海上自衛隊のヘリコプターを含む艦艇部隊がインド洋方面に派遣されることになるとは夢にも思わなかった。
世界中に衝撃を与えた同時多発テロであったが、物事を忘れ去る天才である日本人の記憶からは、消えようとしている。
しかしながら、米国は今もこのテロの根源地であるアフガンに何万という軍隊を送り込みテロ犯の撲滅を図ろうと躍起になっている。が、先は見えず、かつてのベトナム戦争の様相を呈しつつある。
テロ対策特別措置法により最初に海上自衛隊ヘリコプター部隊を海外に派遣する職責を果たさなければならなくなった当時を振り返り、ヘリコプター部隊の現状と苦労を紹介したい。