ドイツ、フランス、イタリアといったEU諸国の首脳宛郵便物に爆発物が発見され、さらなるテロへの警戒感が高まっている。
左派勢力が強いにもかかわらず西側陣営についたギリシャ
ギリシャの「炎の陰謀」なる聞き慣れぬ組織の関与が報道されているが、その政治的、思想的背景ははっきりしていない。
ギリシャでは極左組織によるテロ行為に長年悩まされているが、そもそもそのような組織がはびこるようになったのも、東西勢力の境目にあるというギリシャの地政学上の不安定さからだった。
第2次世界大戦終了後、東西冷戦そのものの内戦に見舞われながらも、マーシャル・プランという巨額援助につられて西側陣営についたギリシャだったが、社会には左派勢力の影響が根強く残ったのである。
ギリシャを思わせる「地中海のある国」での軍事政権による左派活動家の抹殺を描いたフランス映画『Z』(1969)は、政治の闇を描く作品ということになると必ず挙げられる有名作だが、そこにはフランス人の左派へのシンパシーが感じ取れる。
ギリシャでの実在の政治家暗殺事件をモデルにしたこの映画の撮影が行われていた1968年のフランスでは、5月革命で学生や労働者ばかりでなく左派シンパとなった知識人たちがデモや人権運動などに明け暮れていたという社会状況も影響していたのだろう。
1950年代の米国だったら全員がマッカーシズムの餌食に?
主役の活動家を演じたイヴ・モンタンもかつては共産党シンパだったが、ブダペストやプラハでのソ連の横暴な振る舞いを知ってからその傾倒を弱めていく様が、死後製作されたモンタンの伝記ドキュメンタリー『モンタン、パリに抱かれた男』(1994)で見られる。
しかし、それでも撮影当時、基本的に左派であることに変わりはなかった。
監督のコスタ・ガブラスは左派のギリシャ人だったし、音楽担当のミキス・テオドラキスに至っては映画製作当時左派政治犯として軍事政権下のギリシャで投獄中の身、1950年代の米国だったらほぼ全員がマッカーシズムの餌食になるような面々で作られた映画だった。
そんな作品だけにギリシャでのロケはままならず、フランス資本のこの映画は、数年前までフランスと泥沼の独立戦争を戦っていたアルジェリアで撮られることになった。