冒頭の写真と次の写真2は、ハノイの中心部にあるハイ・バー・チュンを祭った廟堂(びょうどう)だ。日本仏教寺院に似ているが、その形式は中国の影響を強く受けており、写真3に示すように廟堂の屋根には龍の文様が付いていた。

 また、写真4に示すように、ハイ・バー・チュンはハノイの目抜き通りの名称にもなっている。首都の大通りの名称になるぐらい、ハイ・バー・チュンはベトナム人にとって身近な存在なのだ。

写真2 ハイ・バー・チュン像を祭る寺の外観
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写真3 寺の屋根にある龍の装飾
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写真4 主要道路の名称が「ハイ・バー・チュン」であることを示す看板
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「卑弥呼」との違いが意味すること

 この話を聞いて思い出したのが卑弥呼だ。ハイ・バー・チュンと共に中国の史書に記録が残っている女性である。卑弥呼は3世紀の人であり、双方とも今から約2000年前の人間である。

 ただ、その伝承が異なっている。日本人は卑弥呼のことを忘れてしまったが、魏志倭人伝に記録があるために、近世になってその存在を知ることになった。ハイ・バー・チュンと卑弥呼の違いは、ベトナムと日本の中国に対する態度の違いを象徴するものにもなっている。

 陸続きであったベトナムは2000年も前から中国に支配されていた。ベトナムにとって独立とは中国の支配から脱することを意味する。だから、独立に果敢に挑んだ英雄のことは忘れない。そのために、ハイ・バー・チュンは今でも廟堂に祭られ、首都の主要道路の名前になっている。